遊星からの来訪者|『シン・ウルトラマン』感想/考察【ネタバレ注意!】-Web-tonbori堂アネックス

遊星からの来訪者|『シン・ウルトラマン』感想/考察【ネタバレ注意!】

2022年6月4日土曜日

movie SF 特撮

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 感想は前回の感想エントリでだいたい書いているので、今回はその他こぼれてしまったネタ的なものをTwitterの公式アカウントからM八七と本編内容を含めたショートMVが公開されたこともあり短めのエントリとしてアップしました。完全に便乗です(笑)。具体的なものは前回のエントリで最後に触れた「ファースト・コンタクト」、「トップをねらえ!」と「新世紀エヴァンゲリオン」(後のエヴァシリーズを含む)について感じた事や思った事を書いております。少々シン・ウルトラマンからは脱線するかもしれませんがご容赦を😌

米津玄師 「M八七」 ×「シン・ウルトラマン」Kenshi Yonezu- M87 × Shin-Ultraman/©2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ/YouTube/©2022米津玄師「M八七」

※注意:このエントリは『シン・ウルトラマン』の本編内容に触れておりますので本編をご覧になってからお読みいただきますようお願いいたします。

遊星からの来訪者

 『シン・ウルトラマン』では地球人以外の他の星、星系からの来訪者を「外星人」と呼んでいますがtonbori堂が子どもの頃に観ていた『ウルトラマン』(初代)や東宝特撮シリーズでは「遊星」という言葉がよく使われていました。ちなみに遊星とは惑星の事で現在では公式ではあまり使われない言葉です。『シン・ウルトラマン』では外星人は「光の星」からやってきたウルトラマンとその同族ゾーフィ、ザラブ、メフィラスが登場しましたが、今回ウルトラマンの異星人、知的生命体として地球の尺度ではない形で描かれました。『シン・ウルトラマン』と同じく初代ウルトラマンをリメイクした『ULTRAMAN』ではベムラーを追って地球にやってきた意思をもった「何か」という人知を超えた「神」のごとき存在として描かれたのとは対称的にあくまで「知的生命体」として、そして人類とは違う個として描かれたのはそう来たかと感じました。


 ウルトラマンも初代から数えて色々なウルトラマンが登場し制作されました。それでも人類の守護者であるという部分が強調されM78星雲「光の国」の住人であり宇宙警備隊を組織し宇宙の平穏を護る初代からのウルトラマンのシリーズ、所謂ウルトラ6兄弟という設定や光の使者であり平和を護る守護神的存在(それは光との対比としての影をも産み出してしまう存在)だったり知的生命体としてのファーストコンタクトという話はあまり描かれてこなかったように思います。(光の力を持つ者としてのという話が展開していくティガなどは面白かったし、ガイアのように地球の意思とコンタクトしてというのも面白いのではありますが光の星の観察者として派遣されたウルトラマンというのは、ウルトラセブンの恒点観測員340号という設定を思い出させます。また神永と融合する際の出来事は『帰ってきたウルトラマン』が郷秀樹が子どもを守るために落命した事を思い出させます。


 そのため『シン・ウルトラマン』は初代、セブン、そして帰りマン(ジャック)といった3作品とも共通したものを感じさせながら他の「遊星からの来訪者」としての側面を強く感じさせる作品になっていると感じました。言わばウルトラマンという存在との遭遇を描く物語であり、外星人が人間という存在に遭遇する物語という訳です。


 『初代ウルトラマン』に登場したザラブ星人であるザラブ、メフィラス星人であるメフィラス。ザラブは地球人は危険であるとみなし、人類を滅ぼすのに邪魔なウルトラマンを初代のように偽のウルトラマンになりすましウルトラマンを人類から排除した上で人類同士を戦わせ滅ぼす算段でした。かたやメフィラスは初代のように子どもを誘拐し地球をあげるという台詞を言わせるかのごとく地球人が地球を差し出す形式となることを狙いました。それぞれの理屈で地球という星を危険視し、または地球を愛し、その利用価値がある資産としてですが。ウルトラマンと彼らの違いは彼らは地球に執着した外星人、ウルトラマンは地球を観察していた観察者だったということなのですが光の星から太陽系に派遣されてきた地球人類が宇宙の調和にたいして将来阻害する因子にならないかどうかを見極めるために送られてきたと思われます。しかしネロンガに対して苦戦する人類に対して手を出した。これは禁則事項だったはずです。それは後にやってきたゾーフィの台詞から考察すると手を出さずに見守る事がウルトラマンの任務だったはず。ですが彼は手を出してしまいその時の爆風で禍特対の神永を付帯被害に巻き込んで落命させてしまった。危険を犯してでも同族の子どもを護った神永の行動をウルトラマンは疑問に思った。これは不謹慎な言葉かもしれませんが彼は人間に好奇心をもったのでしょう。もっと人類の事を知りたいというのは禍特対に戻った神永(融合後)が多くの本から人間について学ぼうとしている事を示しています。とは言え彼は結局、人とは何かは分からなかった。だからこそ人は面白い、興味深く守るに値する存在だと言う訳です。この辺りは哲学的ではありますが『エヴァンゲリオン新劇場版』などでも分からない事を認めそこから関係を構築しようとする事から始めようという庵野イズムを感じる事が出来ます。

栄光は誰れのために

 他方で庵野監督のもう一つの思想が頭をもたげているのも見えてきます。人間の愚かさや官僚主義、事なかれ主義。それを打破するのは独立愚連隊。しかし独立愚連隊は無力でもある。『シン・ゴジラ』では巨災対がゴジラ凍結プロジェクトを推進し「ヤシオリ作戦」を成功させましたが、それは本家『ゴジラ』で芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーでゴジラを滅ぼすことが出来たからです。その則に則ったに過ぎない。人のそういった硬直したシステムはカタストロフィをもたらす災厄でしか是正出来ないと思っている節があると思うのですよね。初監督作『トップをねらえ!』でも敵の「宇宙怪獣」は人類と意思の疎通ができないただ人類は彼らにとって塵芥のような(「ゴミです」という台詞が有名ですね)もので、怪獣は災厄として人類を滅脚しようと襲い掛かります。『トップをねらえ!』は美少女、宇宙戦艦、巨大ロボと如何にもな要素がつめこまれていますが後の庵野監督作につながるものも多くそれは『シン・ウルトラマン』にもあります。それはゾーフィの持ってきた星系殲滅システム「ゼットン」でした。小さな回転する円盤が起動していき大きな物体へと変貌していく様はそれこそ機械仕掛けの宇宙怪獣な感じがありました。またその後の監督作である『ふしぎの海のナディア』でもエッフェル塔を破壊し圧倒的な力を持つ神聖大要塞もそうだし、何より『新世紀エヴァンゲリオン』に出てくる使徒のようでもあります。


 『新世紀エヴァンゲリオン』はウルトラマンへのオマージュが多い作品というのはよく知られています。使徒は怪獣へのオマージュであるし人造人間エヴァンゲリオンは人工的に作られた天使=人造のウルトラマン?という風にも考えられるし(人造人間ということで今現在、庵野監督が取り掛かっている『シン・仮面ライダー』とも掛かっていますが)。セカンドインパクトで現れた天使のような光の影にはカラータイマーのようなものが有ったのもそれを裏付けています。まだまだ、ネルフのモデルが地球防衛軍と科特隊(ウルトラ警備隊)であるとか。(ミサトの携帯の着信音などですね。)そして劇場版、新劇場版でもやはり繰り返されるカタストロフィと人と人は分かり合えない。だから愛おしい。それは同時に悪夢でもあり恐怖でもある。そんな事をずっと繰り返しているのかもしれません。そう思うとバルタン星人のエピソードが出てこなかったのは(版権の問題という風の噂もネットで見かけましたが、でもなんの版権??)移民の問題でもあり結果的にバルタン星人の移民船を撃滅しちゃっているんですよね。そこは今回のエピソードにもテーマにも整合性が無さすぎる。なので早々に庵野監督は外したのではないかと感じています。


 『シン・ウルトラマン』はかなりの部分で庵野監督の色が強く滲んでいるにも関わらず作品に対して否定的な人は「樋口監督」が監督したからと言います。デザインワークスで「総監修」という名目で編集作業に入ったり副監督として盟友、摩砂雪、カラー立ち上げからの仲間である轟木一騎が副監督としてプリヴィズ、カメラマンなどとして入っています。プリヴィズの使い方としての方法論が統括できていなかったという話もありますが『シン・ゴジラ』の時に時間が無い事と予算が限られた中での撮影の方法として考え出されたプリヴィズはまたしても現場との齟齬を産み(これは『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』でも記載されています。)定着していくまでに紆余曲折があったと見るべきで樋口監督一人に背負い込ませるのはとも思うのですが…そこをさっぴいても「良い」ところは庵野監督の成果で「悪い」ところは樋口監督のせいというのはちょっと違うんではないかと思います。良いも悪いも作品の監督をした樋口監督に帰するものではないかと思うのですがどうでしょうか。これはTwitterでも漫画家のゆうきまさみ先生がつぶやかれていて全くその通りだと思います。


 『シン・ゴジラ』は総監督として庵野監督全てを統括しましたし『シン・仮面ライダー』は監督として携わっています。この2作については当然庵野監督に帰する訳でしてそこから考えてもこの作品の幹は庵野監督のものでもその形をととのえたのは樋口監督であるということで間違いないと思います。色濃く出ている庵野色はシナリオや樋口監督がすくいあげたりしたものであると言ってもいいでしょう。ただデザインワークスを読むとファイナルカット(編集権)は庵野監督に委ねられたようにもとれる発言があるので庵野監督の功績と思いたい人もいるかもしれませんがならば撮れ高が無い部分での事などやはりそのカットを押さえた人の是であり否であると思うのですがどうでしょうか。とは言え続編がなればまたどういう座組で作るのかという話にはなりそうなので庵野監督待望論としての「良いところは」庵野監督という声もあるのかなと思いました。

外星人について

 今回、宇宙人については「外星人」という呼び名が使われています。地球外生命体からの「外」の星の人で外星人というのは何か元があるのかな?と検索をかけてみるとWikipediaの「宇宙人」の項目がヒットしました。

ソース|宇宙人 - Wikipedia 

 ただ宇宙人や異星人、または東宝特撮でしばしば使われた遊星人という言葉を使わず(ちなみに遊星間戦争の只中という文言は『ウルトラセブン』であったように記憶していますがうろ覚えです。基本的にセブンでは作中では宇宙人または〇〇星人でした。)これは意図的であると思うのですがそれらとは違う感じを演出するために外星人という言葉が選ばれたのかな?と。響きが異星人とはまた違う意味合いがあって「外」からやってきた者たち(文字通り)を含めた言葉のようにも思えます。人は違う人とは相容れない部分があるというある種の想いがにじみ出ているように感じるのです。だからこそ神永を最後に仲間と認める禍特対の事がそこに繋がって分からないけれど「仲間」と認め力を借りる(それはウルトラマンもですが)そこに繋がるチョイスなのかなと推察しています。

最後に

 シン・ウルトラマンについてだいたい思った事はこれぐらいですがまた何か思いついたら書くと思います。謎というよりは仕掛けられたもの?みたいな部分もあってノイズもあるけれどやはり当時からのウルトラマンをこういった風に新しくしたところにはまだ先があるようにもしているところはデザインワークスにもあるようにウルトラマンはウルトラセブン、帰ってきたウルトラマンまでをもってシン・ウルトラ3部作として考えているんだろうなと。(Qは既に今回内包したので。)『シン・ウルトラマン』は今作だけで観れば完結はしているものの、先はあるかのように思えてなりません。興行次第ではありますが次なるシン・ウルトラの一手が観たいものですね。

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