アカデミー賞4部門(作品、監督、作曲、美術)に輝いた『シェイプ・オブ・ウォーター』。監督のギレルモ・デル・トロらしい完璧な美しさと静かなる流れのある映画でした。セット美術や劇伴、(オリジナルスコア以外の選曲も良い)など全てがギレルモのコントロールで一糸乱れず演出された心地よい胎内のような映画に仕上がっています。
はぐれ者たちのおとぎ話
あらすじ
イライザは、孤児で子どもの頃に受けた傷が元でしゃべることが出来ない。1階が映画館の建物ののアパートに住んでいる。隣人は売れない画家のジャイルズ。彼とは友人関係で出勤前にサンドイッチを差し入れたり、一緒にTVを見る仲だ。時は1962年、ボルチモアにある航空宇宙研究センターでイライザは掃除係として働いていた。起床して身支度を整え、仕事場に出かける。仕事場では同僚のゼルダ以外は彼女と絡む者もなくほぼゼルダと一緒に仕事をする毎日。ある日、ストリックランドという高圧的な人物が現れ研究所に大きなタンクが運び込まれた。そしてその研究者としてボブ・ホフステトラー博士がやってきた。イザベラはタンクの中を覗き込むとその中には何ものかがいた。部屋から追い出されるイザベラとゼルダ。
それから数日たったある日、あのタンクが設置された部屋で銃声が響き部屋からストリックランドが血だらけででてくる。イザベラとゼルダは主任から部屋を清掃するように命じられ血だらけの床を清掃するが、イザベラは水槽の何かをしっかりと見てしまった。異形で不思議なしかし凛々しいその何ものかが気になるイザベラはこっそりと研究室に忍び込み、水槽を見ると横のプールから音がする。何者かは鎖でプールにつながれているようだ。もってきたゆで卵と手話で異形の彼と対面するイザベラ。やがて彼と手話でコミュニケーションをとるようになり、携帯レコードプレーヤーでお気に入り音楽を聴かせて、彼の前でステップを披露するまでになっていった。
しかしある日の事、実験台に鎖で固定された彼を見て愕然とするイザベラ。その時研究室のドアが開き物陰に隠れるイザベラ。入って来たのはストリックランドで、彼を虐待していた。そして上司であるホイト元帥を招き、彼の生体解剖を進言する。反対するホフステトラー博士。博士は驚くべき生命力がある彼を宇宙船に乗せて実験する事を提案する。しかし元帥はストリックランドの進言を受け入れ彼を生体解剖することに決める。ショックを受けたイザベラは、ジャイルズに彼を助け出す手伝いを頼む。最初は渋り「違法だ」「危険だ」と言っていたジャイルズだったが仕事のつても上手くいかず結局は彼女の助けをすることにする。しかしこの行為が、ホフステトラーの想いやストリックランドらの行動により思わぬ事態に転がっていくとはこの時はまだ誰も知らなかった…
声なき者たちの愛の詩
映画評論家の町山智浩さんが怪獣映画が初のオスカーを獲ったと感極まっておられたのも記憶に新しいですが、いやいやという菊地成孔さんのつばぜり合いもありましたが、これ普通に恋愛映画でした。異形の者と女性というと『美女と野獣』が有名ですが、ギレルモ・デル・トロはそこをさらに推し進めています。女性は声を発することが出来ない。そして地味で密かな楽しみだけを糧に日々を慎ましく生きているという部分。そして野獣にあたる異形の者は人に戻ることはありません。
そもそもがギレルモが子供の頃の観たという1954年のアメリカの映画『大アマゾンの半魚人』(TVで観たんだそうで。ちなみにtonbori堂はこの作品のフッテージは観たことありますが本編は未見です。)最後に探検隊に倒されるこの半魚人(ギルマン)とヒロインが幸せになるというラストでは無いことにショックを受けて、子どもの頃からギルマンとヒロインが仲良く暮らしましたというストーリーを考えていたそうです。つまり40年越しのラブレターというわけですが、彼はそこに今の世界状況をも込めて見せた訳です。こういうのって最近のマーベルのスーパーヒーロー映画でもよく使われていますよね。自分のところで作っていた兵器が平和を作っていると自負していたら実はテロリストにも使われていた(売られていた)ことを知ってショックを受けるアイアンマンはアメリカの現状ですよね。
60年代の意味
この作品ではトランプ大統領のアメリカを60年代のアメリカに仮託して描写しています。公民権運動がはじまろうとしてた時代。アメリカが強かった時代。共産圏を恐れていた時代。アメリカファーストの掛け声で保守的になっていた時代。そして冷戦とあらたに宇宙時代への幕開けの時代でもありました。だから彼が連れてこられるのは航空宇宙研究センターだし、女性たちは下働き。(そういえばゼルダ役のオクタヴィア・スペンサーは『ドリーム』でもNASAの計算係の黒人女性たちのリーダー格でしたね。)、彼の輸送と警備担当の軍人ストリックランドは絵にかいたようなアメリカンファミリー(60年代の)ですし、そこは相当に意識的にやっていると本人もインタビューで語っていました。(パンフレットより、インタビュアーは町山智浩)
セットデザインも美術、ビジュアルデザインの凝るギレルモの要求をプロダクション・デザイナーのポール・デナム・オースタベリーががっちりと作り上げ、イライザとジャイルズの映画館の上にあるアパート。それぞれ2人の性格が良く表れている部屋と、イライザと彼が出会う権威の象徴であり秘密の基地である航空宇宙研究センターのセットがスクリーンを彩っています。どのセットも印象的で一目で分かるよいセット。良い映画には良い背景が必要ですがそれを体現してるといってもいいと思います。また音楽も素晴らしい。出しゃばらず、さりとてちゃんとストーリーをそっと支える、いや寄り添うような音楽。まるでイライザのような暖かい音楽は名手アレクサンドル・デスプラの手によるものです。
キャスト
実は脚本はキャストにあわせて当て書きされたそうです。主人公のイライザにはサリー・ホーキンス。ギャレス版『GODZILLA』にケン・渡辺演じる芹沢博士の助手グレアム博士役で出演していましたね。サリー・ホーキンスはゴールデン・グローブ賞を受賞しオスカーにもノミネートされた実力者。地味などこにでもいそうな雰囲気を醸しながらも、彼といる時はまるで少女のような笑顔を見せる。ちょっと『アメリ』のオドレイ・トトゥを思い出しました。まるでベクトルは違うけど本質近いんじゃないかな。ほぼ台詞は無し(一か所あるんんですがそこはスクリーンで)台詞を発せなくとも身体全体から演じていましたね。
軍から派遣されてきたストリックランドはマイケル・シャノン。『マン・オブ・スティール』でゾッド将軍を演じた人です。高圧的で周囲を威圧する、鼻持ちならない人物ですが、その内実は鬱屈したものをかかえているちょっと哀れな人でもあります。またこれがぴったりとはまりすぎててマイケル・シャノン自身がそういう人なんじゃないかと思うぐらいです(いやそんなことはないと思いますが)
イライザの隣人の画家、ジャイルズにはリチャード・ジェンキンズ、超がつくほどのベテラン俳優で、それこそストリックランドのような高圧的な役から普通のお父さんまで。今回はゲイで世間から孤立した、隣人のイザベラだけが友人というジャイルズを滋味あふれる感じで演じていました。多くの人が指摘しているんですがこの役はデル・トロ監督を投影しているんじゃないかという話ですが確かに頷けるところがあります。ですがもう一人、そういう人物がいます。ボブ・ステトラリー博士です。演じるはマイケル・スタールバーグ。『ドクター・ストレンジ』ではストレンジの同僚を演じていましたが、今回の役柄は実は秘密を抱えた博士という役どころ。でも博士も彼の中に美しさと神々しさを感じている一人なのです。そこは監督の心情がものすごく投影されてる気がします。
イザベラの同僚ゼルダにはオクタヴィア・スペンサー。『ドリーム』でのドロシー・ヴォーン役が凄く印象に深いんですが、今回は声を発することが出来ないイザベラの代弁者であり彼女の友であるおしゃべりな気のいい、でも家庭に不満のある女性を演じていました。主役に絡む美味しい役にはオクタヴィア・スペンサーって感じですが本当に上手い方です。「彼」を演じるのはダグ・ジョーンズ。ギレルモ・デル・トロとは何本も仕事をしており、だいたい人外の役どころですが、立ち姿が優美な彼を演じられるのは彼しかいないでしょう。そこはデザインも含めての勝利だと思いますがダグ・ジョーンズの貢献もかなり大きかったと思います。ちなみにデル・トロ監督の『ヘルボーイ』でもエイブという水棲人を演じていましたがこちらは発声できて人とコミュニケーションがとれる水棲人でした。
そして水の中へ
アバンタイトルがこの映画の肝になっています。ジャイルズのモノローグと静かな音楽のなる嫋やかな描写。そこからこの映画は現実と空想の境界線をそうとは分からず漂い始めます。一見してそうと分かるシーンはオープニングとエンディングのクライマックスのみ。いや途中であるにはあるんですが。そして現実といってもこの映画は空想の映画。このコントロールの巧みさはさすがギレルモというべきでしょうか。物語のラストをどう見るか?という部分。ハッピーエンドとも言えるし、あれは夢なのかもしれない現実は違うかもしれないと曖昧にしている部分。そこに最後の詩がきいていると思います。
『あなたの形は見えなくとも、私の周りにあなたを感じる。』
なんとも示唆に富んだ悲しくも、優しい言葉ではないでしょうか。これはレクイエムでもあり、あらたな祝祭への祈りでも、観た人の好きなように解釈できる詩だと思います。なんとも深く澄み切った余韻を与えてくれる恋物語でした。
あのラスト、イザベラの首の傷跡がエラに代わり水中で呼吸できるようになる場面で、聞き流していた最初のジャイルズのモノローグを思い出し、この映画には「もう一つの話」が隠されていたのか、と感心した覚えがあります。
返信削除それは「人魚姫」。私はこの映画をデルトロ監督バージョンの人形姫の話とも解析できると思っています。
最初のモノローグに、「声をなくした王女」(日本版の字幕ではどうなっているかわかりませんが」というくだりがありますね。これは陸上に上がるため、代価として声を無くした人魚姫と合致すると思うと、ラストのあの場面は「結局人魚姫は海に戻り、幸せを取り戻しました」という話になりますね。
そんな考えと、「赤ちゃんの時水辺で発見された」という彼女の過去を合わせてみると、イザベラも元々は人魚か半魚人、もしくは「彼」とにたような水棲種だったのでは…という考えに至り、あの傷跡はエラに「なった」わけではなく、陸上で退化していたのが「元に戻った」のではないかと…そう考えていたら後日、デルトロ監督がインタービューでその可能性を示唆するコメントを残したそうです。
まあ、こんな解析を付け加えて現実のハッピーエンドだったと考えるのも、美しい夢物語だと考えるのも、そんな区別なんか意味ないことでしょうね。この美しいメルヘンの前には。
カンさん>
削除ですです。パンフレットでも映画評論家の町山さんの解説でもそれ指摘ありました。ギレルモ・デル・トロ監督がそう言ってたと。>人魚姫
実はあの首のエラの話は白土三平先生の漫画『忍者武芸帖』(バルバラのイメージの元になった大手裏剣が出てくる漫画です。)でも永年湖底に眠る母の遺骸を見守るために身体が水棲に適したという青年がでてくるのですが、私はそっちを思い出しました。
でもそれさえもこのおとぎ話の前にはほんのささいなことであります(*´ω`*)