マトリクスの裂け目の向こうに/『バービー』感想【ネタバレ】-Web-tonbori堂アネックス

マトリクスの裂け目の向こうに/『バービー』感想【ネタバレ】

2023年8月16日水曜日

movie SF toy

X f B! P L

 グレタ・ガーヴィク監督マーゴット・ロビー主演『バービー』観て参りました。米本国ではクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』と同日公開という事で、夏の超大作2本を盛り上げようと米のファンダムがバーベンハイマーなるネットミームを流行させましたが、きのこ雲とバービー+オッペンハイマーなどがこれはどうだろうかとおもっているところに米のX(Twitter)のバービー公式アカウントが反応して本邦で炎上騒ぎになってしまいました。正直ファンダムなら敗戦国と戦勝国では原爆というものの認識の差はあるのでしょうがないしXでは論争も難しい(言葉の壁もある)ので静観という体でしたが公式アカウントの反応には失望したという反応をしました。それでも『バービー』を観ないという選択は無かったですね。理由は、信頼している映画系アカウントがこれは今年観るべき作品だと言っていた事が大きくありました。ここ数年、色々あって基本アクションとアメコミ映画にしか(時々アニメ&特撮)にしか足を運んでいなかったシネコンですが中にはこれはチェックしておくと良いという作品に足を運ぶことがあり、今回はこの『バービー』は観ておこうと思ったのです。そしてこれは予想以上の硬派な作品だったことに驚きました。という事で簡単なあらすじの後、思ったところを書いてみようかと思います。

映画『バービー』日本版本予告/ワーナーブラザーズ公式/YouTube

映画『バービー』の内容について書いておりますのでクリティカルなネタバレはしておりませんが結末を含めて示唆しているので【ネタバレ】とさせていただきます。

バービーランドへようこそ/STORY

 人間が住む現実世界(リアルワールド)とは別にあるバービーたちの住むバービーランド、そこではバービーたちがそれぞれの役目を持って毎日を過ごし、ビーチにいるケンたちと楽しい1日を凄し夜はガールズナイトで盛り上がる。そんな夢のような毎日を送っていた。しかしある時、定番バービーは何故かバービーランドには存在しない「死」について考えてしまい、足がぺったんこになってしまう。現実世界で散々な扱われた方をされた事により変てこになってしまって、町はずれに住む変てこバービーは不具合の起きたバービー達を直してくれると聞いた定番バービーは自身に起きた異変を相談に行くが変てこバービーはそれは現実世界の持ち主に原因がありバービーランドとリアルワールドの間に裂け目が出来たからと告げ、それを解決するには現実世界へ行くしかないと言う。不安だけどもリアルワールドに向かう定番バービー、しかしそこに付いてきたのはケンだった。帰ってと言ってももう道半ば。少し不安な定番バービーはケンとともにリアルワールドへ。しかしそこは女の子たちが夢を持っていると信じていたバービーにとってはまるで真逆の世界だった。果たしてバービーはリアルワールドで何を見つけるのか?

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

 ゴーギャンの有名な画のタイトル、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」なんですが、これを想起したのは感想を書こうと枕(前文)の部分を書き出した時です。最初は『2001年宇宙の旅』のパロディから始まり、ピンクの世界で、でもなにか不穏な不協和音があってという部分、そして人形というところから押井守の『イノセンス』までもを思いました。だから最後の最後でバービーが取った行動を押井監督ならどう思うかなとかを考えたりしましたね。何せ『イノセンス』でハッカーのキムに「真に美しい人形があるとすれば、それは魂の持たない人間の事だ」つまりバービーは最初からそうだった。けれど俗世にまみれたリアルワールドを生きる事を決意する。それはまさに知恵の実をかじったイブのように。ある意味ミルトンの『失楽園』ではないのかと。


 この映画は確かに、フェミニズムとエンパワーメントについても語っているのだけれど、それは取りも直さず人として生きるという事はどういう事なのか?いやそもそも人生とはなんぞやという事に最終的に行きつく自己実現の話でもあるのかなと最後まで観て思いました。バービーは、それまでの少女たちは子育てへの教育的一環でもあるところの人形遊びを強いられてきたけれど、バービーによってなりたい自分へと仮託するものへと変ったというところからバービーランドは、多種多様な職業と人種、体型を持つバービーたちの楽園を創り出すに至った訳ですが、それはある種の「造られた」理想郷でしかない。「死」の概念さえもないバービーランドにおいては歪な世界が実は拡がっているのがあるのでは?つまり鳥かごの中の鳥でしかない訳です。そしてその世界は自由があるけれど、それは「死」をも含む危険もあるが、それに自らが気が付き選び取るという物語であったなと。


 もちろんこの映画バービー視点だけでそこまで突き進んでも良いのですが凄いなと思ったのが対比として存在するケンの存在です。ケンはバービーランドではバービーの相手として、ただ一線は越えられない非常にもやもやする(男性的な目線で見ると)存在なのですがバービーとともにリアルワールドに出た時にリアルワールドが家父長制で回っている事に気が付き(男社会)それをバービーランドに持ち込み定番バービーがいない間にケンダム(ケン・フリーダム・ランド)を建国しようとします。抑圧された者たちが家父長制を知って反抗するというのは二重の意味があってバービーランドは性別の逆転化だけで結果家父長制なんですよ。だからケンたちはどこまで行っても狂言廻しでしかないんですが、家父長制というシステムにノーを突きつけ真の自己を確立するというところは非常によく出来ているなと感心しました。多分バービーの本当におまけの存在としてだけ「ケン」が機能していたらこの作品はこうはなっていなかっただろうなと思います。だから最初から定番バービーという主人公の自己確立の物語でありながら世界を俯瞰できる視点が出てきた。上手いやり方だなと感心しました。


 そしてリアルワールドのバービーの製造元マテル社の描写がさらにカリカチュアライズされているのがさらにディストピアSF感を醸していましたね。CEO(ウィル・フェレル)は絵に描いたぼんくらの王様なんですがまさにディストピアSF感が背景にあって夢のバービーランドと不気味な対比性と相似形があってここも感心ポイントの一つです。

マトリクスの裂け目の先は広大だったのか?

 『バービー』はよく出来た映画で硬派な作品ですがルックがバービーとピンクで埋め尽くす事でそういう部分を甘くくるんだ形になっています。だから色々と真意が見えにくい。というよりガーヴィク監督の他の作品は知らないのではっきりとは言えないけれど、自らの道を模索するといった風情の話をファンタジーだったりSFだったりの味付けをして、より極端にカリカチュアライズしたのがこの『バービー』という映画だったという事のように思いました。


 そして実は硬派な映画だなと思いつつ、観終わって最初に考えたのは押井監督ならどう思うだろうかという事です。それは先にも書いた『イノセンス』の事があるからなんですが、そもそもバービーという(定番バービー)が自己の存在を規定し確立する物語なので腑には落ちたけれど、知恵の実を食べた事で追放されたイブは自らの存在を確かめるのか?それともさらにマトリクスの裂け目の向こうへ踏み出さないのかとか色々考えてしまったのです。もちろんこの終わりが理にかなっているのだろうとは思うんですがラスト、「リアルワールドは広大だわ」とか言ってたら他の人はどうかは知りませんけど個人的にはオールタイムベスト級でした。まあ言わないしそういう話でもないですが(苦笑)だから芯の部分ではこの作品は教条的なところも少々あったかのように思います。それでも今年観るべき1本なのは間違いありませんでした。

※押井守監督の『イノセンス』(AmazonprimeVideo)は特段『バービー』とは関係ないですが人と人形の通じて命とは?生とは?死とは?を考えさせる作品という点では一致しているかもしれません。

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