老境の「夢」または「左岸にて」|『君たちはどう生きるか』感想【ネタバレ】-Web-tonbori堂アネックス

老境の「夢」または「左岸にて」|『君たちはどう生きるか』感想【ネタバレ】

2023年7月22日土曜日

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 初日に早速観てきました。宣伝一切なしのスタジオ・ジブリ/宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』、同名小説がありますがその小説の映画化ではなく主人公の持ち物として、影響と与える言わばキーアイテムとして使われるだけで本編にはまったく関係ありません。ということで今回は『君たちはどう生きるか』について少し思った事を書こうかと思います。お馴染みのあらすじはやめておきます。というのもこの作品はその内容、キャストも含め一切合切を宣伝せず、ポスターのみでの宣伝活動、残りはパブリシティとしての鈴木敏夫プロデューサーによるインタビューが公開前にあったぐらいです。それでも公開初日からの4日間での興行収入が21.4憶というのはさすがというのかジブリブランド、いや宮﨑ブランドというべきなのでしょうか。実際には思ったところを書いてもネタバレにはなるんですが、お話はシネコンのスクリーンで観てその上で感じてほしい思います。ということで気になるところ、行ってみましょうか。

『君たちはどう生きるか』ポスタービジュアル/TOHOシネマズにて
『君たちはどう生きるか』ポスタービジュアル/TOHOシネマズにて


【ネタバレ】としていますが具体的なお話についての言及はしていません。まっさらな状態で見るとそれまで夏の風物詩として観てきたテレビでのジブリ作品やスクリーンでみたジブリ作品の思い出が反復される作品となっているので、この感想からそれを想起する事により初見時での見え方が違ってしまうかもしれない、その意味での【ネタバレ】としております。

監督の『夢』

 かの巨匠、黒澤明が晩年に撮った作品(遺作ではない)が『夢』という映画でした。製作にはスティーブン・スピルバーグが名を連ねた作品です。巨匠が晩年に自らの見た夢や自らの子ども時代を描いたり、原作物でもそれに仮託して描く例はありますが、『風立ちぬ』同様にこれも宮﨑駿の見た夢のようなものなのでは?と思いました。筋はあるけれど最初は一貫せず現実とあちら側との境界が徐々に曖昧になり主人公がその世界へと踏み込んでいくというのは『崖の上のポニョ』にも通じるところがあります。tonbori堂は『崖の上のポニョ』を、「行きて帰りしの物語」だと以前に書いたと思いますが基本的にはこの『君たちはどう生きるか』もそうです。それは宮﨑駿が東映動画時代に関わった『太陽の王子ホルスの大冒険』から始まった高畑勲の関係へのオマージュでもあるかもしれないとも感じました。『かぐや姫の物語』がまさに右岸から左岸へ渡るかのような物語であり、あちら側に身を置いた人からの想いはそのままでいいのか?だからこその『風立ちぬ』であったはずなのに、さらにこの『君たちはどう生きるか』を作ったのは、継承したものを受け継ぐ覚悟はあるのか?という問いであり自らへの問答だったのかもしれません。それはこれまでの宮﨑監督の作品に度々出てくるモチーフの変奏曲が何度も出てくるからです。宮﨑監督らしい動きのあるものだから気が付かない人がいるかもしれないけれど、宮﨑監督とも縁がある押井守監督のようなリフレインを感じてしまうのは人生の晩年期に過去を振り返るからこそのリフレインなのかと感じます。


 この映画はある意味、宮﨑駿の出来事であり自らの軌跡を振り返るものでもあるというのは外せない視点だと思います。母の事、父の事、空想の世界という道具立て。異世界への案内人。助けてくれる人たち。それら一切合切を含めて宮﨑監督の経験や自らの深層からにじみ出てきたものでそれに関しては、これは一体何が起こっている?という部分や何を見せられている?という部分は生の手触りがあり著しい違和感も在りましたがそれらを含めて躍動する動きでねじ伏せるという点では『崖の上のポニョ』の感じがありました。ただポニョよりドロっとしたものでしたが。

左岸から見た風景

 この作品、ある意味向う岸を見るかのような構図が多いなと思いました。それはとりもなおさず宮﨑監督の心象風景で、それをこのようにダイナミックな動きで表現できるのはやはり宮﨑監督ならではと思います。(もっともアニメーターはジブリ時代からのベテラン、他のスタジオの手練れをかき集めているところを見ると宮﨑監督自体の老いをも感じさせるのではありますが)それは監督が彼岸を見つめているのかなとも思いますし、ある種の墓碑銘でもある気がします。絵描きは最後まで描く事しか出来ないから引退してもなお、同じ事であっても湧き上がるイマジネーションを作品として残さざるを得ない。CGも手を付けてきたがこのイマジネーションは手描きでしか表現できない。だからこそ手描きの作品としてこの作品を作ったのかなと思います。


 前作『風立ちぬ』も同じ構図を持っている作品でしたが今回の作品は『崖の上のポニョ』と『風立ちぬ』のちょうど中間点に位置しそれまでの自らの仕事を俯瞰してみた達観した部分と、いやまだ俺は出来るという漲る力を感じる部分のせめぎ合いもまた枯れそうで枯れない人なんだなと。この場合万人に受け入れられる、受け入れられないは別としてイマジナリーの人でありその妄想は尽きることが無いというのを改めて感じました。最後までアニメーション作品の人であろうしている宮﨑駿の刻んだものとしてもこの作品は御歳80を越える宮﨑駿の魂を削った作品だと言っても過言では無いかと思います。

鈴木敏夫

 今回、作品の宣伝活動は一切せずにポスタービジュアル1枚だけで勝負というかなり無茶なキャンペーン。いやキャンペーンをしないキャンペーンですが結果は数字をしっかりと残した鈴木Pの勝利と言ってもいいでしょう。キャンペーンは打たない代わりにメディアでのパブリシティインタビューでいくつか発言をしておられましたが、今回の宣伝方針は自らも博打と認めるものだったという事を発言しておられます。でも勝算がゼロじゃなかったのではと思います。製作開始から7年、ポスタービジュアルだけしかない中で情報を遮断して飢餓感を煽る。そういうやり方は例えばこれまた宮﨑監督とも縁の深い庵野秀明監督の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』や『シン・ゴジラ』で最低限の絞った宣伝展開をした事もありましたよね。ここまではしていなかったけれど鈴木さんにはそれでも劇場にお客さんは呼べるという何かしらの確信と覚悟があったのだと思います。


 どんな作品でも「ネタバレ」には気を遣うのが昨今の風潮です。「コスパ(コストパフォーマンス)」「タイパ(タイムパフォーマンス)」の高さが語られる世の中。倍速でドラマ、配信映画を観る人も多い状況で一切の情報がない状態。情報感度の高い人たちが観に行って良いも悪いも感想をSNSでアップする世の中ではその飢餓感に賭けてみようとして結果大当たりですが、それでもなおそれが鈴木Pの策なのであればまさに奇手をモノにしたなと思います。当然他の作品でそれが通用するかはその作品のブランド力やそのものが持つ発信力が必要になります。ジブリというブランド、宮﨑駿という人のブランド力を信じた策士鈴木P、大した人です。戦国乱世でも言葉巧みに泳いで行けそうな人だと思います(笑)

最後に

 宮﨑監督、ちょっと前(しっかりと調べていないのですがTwitterで検索すれば指摘されている方は幾人かいらっしゃると思います。)から宮崎から宮﨑(立つさき)表記になっています。どういう心境なのかは分かりませんが「大地に立つ」という意味なのか色々あるんでしょうけど(昔は立つだったけど東映動画入社時に宮崎になってしまったとか?)そういったことまで話題に上るのも宮﨑監督が注目されているからこそ。そんな宮﨑監督も82歳、ご年齢を考えるとこれが最後の作品となる事もあるかもしれません。いやまだあと1作いけるという人もいるかもしれません。クリント・イーストウッドは90歳を越えて次が最後と言っていますが80歳代で数本の映画を作っています。それでも手間のかかるアニメーション長編映画はこれが最後かもしれません。そう思うと本当に今作は「観れて良かった」というのが偽らざる感想です。

                                                                                  

※黒澤明の遺作は『まあだだよ』で、こちらは内田百閒の伝記的内容ですがやはり老境に至った内田百聞に仮託している部分があるそうです。残念ながらtonbori堂は未見なのですが。

※興収についてのソース|「君たちはどう生きるか」公開4日間の興行収入が21.4億円、「千と千尋の神隠し」超え - コミックナタリー

                                                                                    

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