誰かの願い。|『世界の終わりから』感想【ややネタバレ】-Web-tonbori堂アネックス

誰かの願い。|『世界の終わりから』感想【ややネタバレ】

2023年4月24日月曜日

movie SF

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 紀里谷和明監督が自身の『最後の映画』として製作した作品『世界の終わりから』観てきました。紀里谷監督のメジャーデビュー作である『CASSHERN』を封切公開時に観たtonbori堂にとって紀里谷監督がこれが最後というならそれは観ておかないと思い立ち鑑賞。台詞が心に突き刺さるエッジの立った紀里谷監督らしい作品でした。という事で思ったところを少しだけ書いてみたいと思います。あらすじはざっくり書いておきますが基本、スクリーンで体験して頂きたいと思います。また異論や合わなかった方もいらっしゃるでしょうがtonbori堂に素直にこの作品は、台詞が刺さった映画となった事はまず伝えておきたいと思います。


映画『世界の終わりから』本予告/YouTube/世界の終わりからch

そこまでネタバレはしておりませんが結末を示唆する文章があるので【ややネタバレ】といたしました。

あらすじ|OUTLINE

 高校生の志門ハナは両親を事故で亡くし、一緒に暮らした祖母も亡くなった。学校では目立たないが誰からも注意を払われずいじめにあっている。唯一、同級生のタケルだけがハナを気にかけている。


 祖母が無くなってまもなくハナの元に政府のある機関から来た江崎という男が訪ねてくる。彼はハナに変わった夢を見たことが無いかと尋ねる。ハナは夢を見ないと江崎に告げるがその夜、突如不思議な夢を見た。それを江崎に告げると夢であった老婆と同じ顔をした老女の元へ連れていかれる。彼女はハナにハナが見る夢が「この世界」を終わりから救うと告げる。戸惑いながらも世界を救うためハナはこの世界を覆う想いの海へと潜っていくのであった。果たしてその先に待つものは?

絶望の地平

 この作品、監督の絶望感がストレートに反映されていて台詞が本当に突き刺さりました。紀里谷監督は何故そこまでストレートに言葉を投げつけるのか?それはこのネット、Twitter時代になってより一層鮮明になった「言葉」で、人はいともたやすく絶望するという事を知って欲しいからだと思います。インタビューでも監督デビュー作である『CASSHERN』や続く『GOEMON』、そしてハリウッドで製作した『ラスト・ナイツ』、その度に評価という言葉に傷つき絶望してきたと言います。もちろん暖かい言葉に励まされもしたけれど、やはり言葉はもろ刃の剣である。そもそも映像の人と思われがちなんですが、今作のインタビューなどで感じる紀里谷監督は「言葉」の人でもあるのだなと感じました。そして今、現在も世界は絶望に満ちている。先への希望のないこの世界で何を紡ぐのか?という問いかけが今作なのかなと思っています。


 それとともに映像作家としての紀里谷和明の構図の切り取り具合やショットはやはり光るものがあります。全編ブルーバック合成とセットであった『CASSHERN』も素晴らしいショットがありました。戦闘シーンの絵コンテ協力は樋口真嗣監督ですが決めのレイアウトは独特で、今回の『世界の終わりから』でも幾つかのショットは非常に印象的でした。例えば、祖母が亡くなった後、祖母の遺体に添い寝するハナを上から写すショットや学校での俯瞰からハナが連れていかれるショット。空間の使い方がやっぱり独特で寂寥感のあるシーンが頻出しました。今回はブルーバックではなく基本的にロケーション撮影が多かったのですが、その情景は既存の映画監督では他には押井守監督ぐらいしか思い浮かびませんでした。これは偶然だと思うんですけれど押井監督がロケーションで撮影している場所があってこの作品でもよく似た構図があったんですよね。それに絶望の地平とその謎への探訪は押井監督もよくやるし、だから観た後にTwitterで富野成分を押井感でやるとこうなるとつぶやいたんですが訂正します。『富野成分を押井構文でやるとこうなる』映画でした。ただ紀里谷監督には富野成分はもう血肉となってるところがありそうなんですが押井構文の部分はあまり意識されておられるとは思えないので素の状態で押井構文出来るってのは凄いなと思っています。


 というのも「夢」というワード、現実と幽世を行ったり来たりするお話がツイートでつぶやいた『東京無国籍少女』と『アサルトガールズ』『アヴァロン』をなぞっている気がしたもので。他にも『迷宮物件』や挙げれば出てくるとは思いますが、大島ロケだと思われるあの部分以外でもトンネルでの構図や学校などそう思わせるシーンがtonbori堂にとっては多くありました。もちろん語っているものは違うもののこの世界に対してのスタンスがそうさせているのか、そこは興味のあるところです。

『CASSHERN』と『世界の終わりから』

 実はこの作品、最後の最後で一筋の希望が見える結末になっています。それは監督の『CASSHERN』と対になっていると思いました『CASSHERN』も最後は絶望の中で終っていきながらも因果地平の果てではという終わり方で『伝説巨神イデオン』を想起させる絶望の果てに希望が残ったという作りになっていました。案外とそれは受け入れられず全滅エンドと思われていますが絶望しているのに人のポテンシャルはそんなもんではないと抗うのが紀里谷監督のように思います。


 それと世界の終わりと多元宇宙的な展開を思うと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(エブエブ)とも通じるものがあるんですよね。ただ一番の違いは母子、妻と夫という近親者にフォーカスしていたエブエブとは違い圧倒的に他者と己にフォーカスしているのがこの『世界の終わりから』だと思います。そこは押井感ありますよね。ただ親子の関係にもフォーカスは当たっていますが『CASSHERN』ほど強烈ではなかった。あちらはエディプスコンプレックスさが垣間見えたので、やはり色々フォーカスされていく部分に変化が感じられました。ですが他者への眼差しと優しさという視点はどちらにもあって、そこも対になっているなと感じた一つです。

ラストスタンド

 これが紀里谷監督最後のメッセージということで、『CASSHERN』から監督デビューして4本、多い少ないは別にして人生、他の事も見てみたいということで未練を断ち切る意味合いでも最後の作品としてネットも絶たれるそうです。(今作の宣伝活動が終わるまではTwitterは運用されるそうですが)そこからも分かるように真面目な方なんですよね。そこは押井監督や富野監督とは違うところで2人はしぶとく、ときには賢しく立ち回り今も創作を続けられています。そういうところからも紀里谷監督の生真面目さがにじみ出ています。良くも悪くも。「汚れちまった悲しみに」という一節を思い出しました。ですが監督の中のラストスタンドはまだここじゃないだろとは思っています。またいつの日か引退しますと言いつつ創作に戻ってくる宮崎駿監督のようにしぶとく復活してほしいと思います。

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