なんと言っていいのか。今月号のファイブスター物語/F.S.Sの最終頁のコマの下に小牧雅伸氏の訃報に対するお悔やみが「永野護、井上伸一郎、川村万梨阿」の連名で記載されていました。なのでちょっと目頭が…。Twitterで既に訃報に際して思い出をつづりましたが改めてアニメック編集長小牧雅伸氏の話をブログエントリとして残したいと思います。
Animecガンダム40周年記念号/KADOKAWA刊 |
まもしん(永野護と井上伸一郎)、万梨阿さんとアニメック(小牧雅伸氏)のつながり
この辺りの詳しい事情はトイズプレスから発売されていた「マモルマニア」に詳しいと思いますがこれ絶版なのか単なる重版かかっていないだけなのか。ハードカバー製本の本なので作るとなるとそこそこ大変なので重版かかるのは難しいかも知れず、あまり大きな声では言えないけれど古本屋さんで見つけたら即ゲットされる方がよろしいかと思います。一応当時の事情を書いてある事からかいつまんで申しますと井上伸一郎氏は角川書店に入る前はラポートというアニメックの版元で編集をされており㏋(馬力という単位を現す記号)副編として有名な方でした。やがて別冊テレビジョンのエルガイム1,2にライターとして携わり同ムックの編集に携わった事から月刊ニュータイプの立ち上げに参加、ザ・テレビジョン社に入社しやがて角川書店に。一般誌(ファッション誌だったかな?)からキャラクタービジネスの中核へと以後はKADOKAWAの代表取締役まで務める事になろうとは…。一方の永野護はアニメ新世紀宣言の時にシャアのコスプレをしていたし奥様の繁代さん(川村万梨阿)はララァのコスプレしてた…かな。あれもアニメックが関わっていたかと思います。何分もう40年近く昔の事なのでおっちゃん忘れっぽくなっているので。実際には川村万梨阿さんがまんが画廊というその界隈では有名な喫茶店で小牧さんをはじめとするオタク第一世代と知己を得ており、かのように3人の仲はほぼアニメブーム創世記からの歴史があると言えます。
tonbori堂とアニメック
隔月で出ていたころからこのアニメックとアニメージュはアニメ誌として買っていました。買ってた目的は当然「機動戦士ガンダム」と富野由悠季(当時は喜幸)監督。ちょうど80年だったように思います。その後ヤマトを経てガンダムを始めとしたアニメブームが到来しアニメ誌もアニメディア、マイ・アニメ、ジ・アニメにOUTがありました。ファンダム雑誌としてのファンロードはアニメ誌とは言えないですがそれらも含めアニメブームが一種過熱していたあの頃。アニメの観方、読み方を教わったのはアニメックとアニメージュだと思います。どちらも名物編集長がいましたが小牧さんはアニメの観方を教えてくれる人って感じがありましたね。それは一重にデフォルメキャラとして誌面に登場していたことと自らも記名記事を執筆されていたからだと思います。
そんな小牧さんを最近思い出したのはKADOKAWAがガンダム40周年を記念して1号限りの復活として刊行したアニメック・ガンダム40周年記念号でした。相変わらずの健筆だったのでまだ書いておられるんだなと思っていたところの訃報なだけに…ショックでしたね。ほぼtonbori堂はアニメックとアニメージュで作られていると言っても過言ではないのです。ちなみにニュータイプはそれより後なんで観方、読み方というよりは楽しませてもらっているという感じですしやっぱり先行2誌の影響は小さくないと思っています。
なんだかんだで半世紀も生きていると訃報もそれなりに接しますし所謂推しの訃報なんかも入ってきます。当然悼むのもありますがそれぞれの作品、(書いたもの、撮ったもの、演奏したもの)は残ります。そしてそれを読んだり、見たり、聴いたりして悼む訳ですがとりわけその時代を過ごした時に密接に紐づいているとやはり思うところは多いです。そして今月号のニュータイプでまた追悼の言葉を目にしてまた思い出してしまいました…。暫しこの余韻に浸りつつまた1号限りの復活のガンダム40周年記念号を読み返そうと思います。しかし早過ぎる逝去だったと思います。改めて小牧氏のご冥福をお祈りいたします。
|Amazon.co.jp: アニメック ガンダム40周年記念号 (カドカワムック) : ニュータイプ編集部: 本
小牧さんの自伝というか回顧録が出ていたようです。|アニメックの頃…―編集長(ま)奮闘記 | 小牧 雅伸 |本 | 通販 | Amazon
0 件のコメント:
コメントを投稿
お読みいただきありがとうございました。ご意見、ご感想などございましたら、コメントをよろしくお願いいたします。【なおコメント出来る方をGoogleアカウントをお持ちの方に現在限定させて頂いております。】