何時もならもうちょっとタイトルに頭を捻ってなんかこうキャッチ―なって思うんですが(その割にはダサいタイトルが多いとか言わない)なんかこうこれに関してはもう「観た!」っていうしかないなって感じです。バットマンの宿敵であるあの有名ヴィラン、ジョーカーを独自にそのオリジンを描いたまさに問題作。世界中を席巻し、批評家筋でも絶賛。一番驚いたのはアメコミ原作映画でしかもR指定で…いやヒットしたのもありますよ。R指定で。『デッドプール』ですけどね(笑)でもそれとは違うヒットの仕方。しかもロングラン。なので映画の日(12月1日)やっと鑑賞することが出来たのですが(^^;いやまあ凄い映画でしたね。賛否両論なのも分かりました。ちなみに【ネタバレ注意】と入れていますが結末までがっつりとかは書いていません。ただ気になる方はご注意ください。
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STORY/アーサー・フレックという男
汚職が蔓延りストが頻発し、今日も衛生局のストでゴミが腐臭を放つゴッサムシティ。アーサー・フレックはそんなゴッサムシティに暮らす男。仕事は道化師。パーティや宣伝に派遣されてピエロを演じる。彼のささやかな夢はコメディアンになること。しかし病身の母親を抱え自身は脳の損傷で緊張すると笑いが止まらない。そのため他人と上手く関われないアーサー。しかもゴッサムの福祉ケアサービスでの面談は市の政策転換により終了し、強盗に襲われたため同僚から貰った拳銃を小児病棟での仕事で落しクビになってしまう。
その帰りのメトロ(地下鉄)で女性に絡む泥酔したサラリーマンを諌めてしまったところ発作が出て彼らのターゲットになってしまったアーサーは発作的に持っていた拳銃でサラリーマンたちを射殺する。高揚する気持ちを抑えつけアパートに戻ると一度言葉を交わしたシングルマザーのソフィーにキスをする。アーサーはナイトクラブに出演するが緊張のため発作がでてしまい、ネタも客にはまったく受けなかったがソフィーだけは微笑んでくれた。しかしそのシーンのビデオが何故かナイトショーに流れてしまう。
部屋に戻ったアーサーにゴッサム一の富豪であるトーマス・ウェインへ手紙を書いたので出しておいてと頼む母。彼の母ペニーは以前ウェインの屋敷で働いていた事があるのだ。そこには今の困窮を救って欲しいと、私と「あなたの息子」と書かれていた。それを知りウェイン邸におしかけ、さらには慈善事業の映画上映会に忍び込み彼と会うアーサーだったがトーマスからそれはペニーの思い込み妄想で彼女は精神病院に入っていたと告げアーサーの鼻づらを殴りつけ二度と自分前に現れるなと警告されることに。
失意のアーサーは証拠を探しに母が入院していたアーカム州立精神病院へ。そこで書類を見たアーサーは驚愕する。書類には自分が養子である事とペニーと暮らしていた男から虐待を受け頭部に損傷を受けた事が記してあった。全てが幻想であり悲劇は喜劇。彼は入院中の母親を窒息死させる。そのままソフィーの部屋に行くアーサー。しかしソフィーはアーサーを知らなかった。ソフィーとの時間はケアサービスの停止により薬も手に入らなくなったアーサーの妄想だったのだ。
部屋に戻ったアーサーに一本の電話がかかる、それは母とよく観ていた有名なコメディアンのマレー・フランクリンのナイトショーへの出演依頼だった。そうアーサーのすべったトークがネタとして放送されマレーが気に入ったので出演しないかと依頼が来たのだ。アーサーはある決心をして承諾する。そしてトークショーの日がやってきた…。
Joker (Original Soundtrack)Hildur Guonadottir|Amazonより |
ジョーカー
これはアーサーがジョーカーとなるオリジン(誕生、起源)のお話として捉えることが出来ますが、さすがジョーカーの映画。一筋縄ではいきません。いくつもの謎が存在し、なるほどそうかと思ったら、えっ?っなるシーンが続く。観たときは、ああそうかと、だいたい分かったよ思っても、後で思うと…いや待てよ、あれは本当なのか?と幾重にも真実はあるけれど、語り手によってそれがその人の有り様を映す鏡のようになって解釈が変ってしまう。まさにジョーカーのような作品でした。
この作品でのジョーカーはそれまでのどの作品のジョーカーではないし、またそうだとも言っていないんですよね。いやアーサーは自らをマレーにジョーカーと呼ばせたしタイトルも『JOKER』ですが。そもそも監督のトッド・フィリップスもこの作品をマーベルのM.C.UのようにD.Cの映画ユニバースの作品とは捉えておらず、人物描写を中心に据えた作品を撮りたいと思っていたけれど、ちゃんとお客も呼びたい。となればコミック映画の型を借りてそういう作品を撮ってみたらどうだろうと、これはパンフレットに書かれていた監督インタビューに書いてあった事ですが、そういう意図で作られた作品だったのです。その中で監督は幾つかの作品を例に出しています。『タクシードライバー』、『狼たちの午後』『カッコーの巣の上で』『セルピコ』です。70年代にはよく作られていたこれらのタイプのような作品に雰囲気が似ているのはそういう監督の意図があるからです。
実際にこの作品で描かれるゴッサム=NYは70年代の風俗を現しています。ファッションやTV、風景。あのアメリカン・ニューシネマの後期の時代でした。特に監督が挙げたのは73年から76年の後期にあたる作品ばかり。ベトナム戦争後の後遺症で世の中が荒れていた時代。その後『ロッキー』や『スター・ウォーズ』の登場でまたアメリカンドリームや勧善懲悪の路線が再興するんですが街には死んだ目をした人が溢れていたのも事実。特にこの『JOKER』は徐々に常軌を逸していく『タクシードライバー』の主人公トラヴィス・ビックルを思い出した人は多いと思います。実はtonbori堂もそうでした。
アーサーが鏡の前で「俺に用か?」と言い出さないかちょっと冷や冷やしました(コラッ)当然フィリップス監督はわきまえている監督なのでそんなストレートには出しません。これはアーサーが予告編でもみせる踊りを見せるのですがそれがまたなんともエモーショナル。幾重にも解釈できてしまう、だからこそこの映画をみんながそれぞれに解釈してしまうのかもしれないなとも思うんですが、それにアーサーが普段している格好もトラヴィスとは違うのに何か同じ雰囲気を感じるし、しばしば上半身裸になるのも何かを感じさせるあたりフィリップス監督、「タクシードライバー」好きすぎるだろって思いました(笑)
もっともそれだけでトラヴィスを演じたロバート・デ・二―ロを重要な役回りである名物司会者マレー・フランクリンにキャスティングという訳ではないようで、第一には彼が名優であるからとの事。深い演技、リアリティのある演技が出来る俳優だからというのがあります。そしてこれもパンフレットに書いてあったんですが『タクシードライバー』の監督マーティン・スコセッシがデ・二―ロと3度目のタッグを組んだ『キング・オブ・コメディ』(残念ながらtonbori堂は未見なんですがAmazonprimeビデオ会員特典に入っているので今度鑑賞したいと思います。)でデ・二―ロが売れないコメディアンで名物司会者を誘拐して自分を番組に出すように脅すという役柄をしているんだそうです。監督は90%以上の観客はこの作品を観ていないだろうが知ってる人なら、ああそうかとなるだろうねと監督は語っています。(tonbori堂もその90%の観客です…(^^;ただタイトルと内容だけは知ってて『JOKER』の話がネットに出たときはそれはもしかしてと思いました。)
孤独と断絶
これは昨今あちこちで言われる話ではあるんですが『JOKER』はディフォルメされていますが弱者の物語であり、孤独についての話であり、断絶についての話でもあります。だからこそ今の社会にフィットしたのだというのは月並みですが、あまりにも心に刺さってくるのですよね。当然アーサーを演じたホアキン・フェニックスの存在感があまりにも鬼気迫るものがあったからですが、全体のトーンもなんとも言えずtonbori堂が好きな『フレンチコネクション』や『ダーティハリー』と同じトーンを持っている事は見逃せません。監督は70年代の作品への敬意とオマージュを捧げているのは確かです。(自ら明言しています。)それが今の時代にこうまで刺さってくるのはあの頃の鬱屈した感じが今とシンクロしているからではないか?観ていて少し空恐ろしい感じを受けました。
コミック映画の可能性
それとともに『JOKER』でコミック映画の可能性が拡がりました。でもこの作品以前と以後っていうのはちょっと言い過ぎだろっていう気もするんですが(マーベル作品でもヒーローのオリジンを描く作品ではキャラクターの内面をちゃんと描いている。)そうも言いたくなるのは『JOKER』は徹頭徹尾アーサーの事を描いているから。色々なコミック映画が作られましたがここまで一人の人間の有り様にスポットを当てて描き切った(オチも含めて)というのは例を見ません。監督の言う通り70年代にはよくあった作品スタイルなんではあるんですがアメコミベースではやはり珍しいかと思います。そういえば『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』もルッソ兄弟は70年代のポリティカル・サスペンスを下敷きにして現代アメリカ問題点をも浮き彫りにしていましたが、今回は『タクシードライバー』のような極めてパーソナルな部分をもコミックの有名キャラクターで描くことが出来る事を証明してみせたという訳です。
また同じDCで言えばバットマンをリブートしたクリストファー・ノーラン監督の3部作の中編『ダークナイト』があります。あれは完全に狂気をはらんだジョーカーを中心に心に闇を抱えるバットマンと対比させた名作ですが、それ以外にもコミック映画としての語り口だけではなく普通の映画としての語り口、ケイパームービー(強盗映画)としてのルックなどを取り入れた作品でした。そういった作品をも含めての『JOKER』の立ち位置は特殊ながらもこれからも先も影響を与えていくのではないかと考えています。当然そうなると続編の可能性をささやかれそうだけど、ネットでのインタビューは含みを持たせながらも今すぐどうこうという話はなさそうです。またDCもザック・スナイダーが描こうとしていた叙事詩から方向転換をしたところ。どんな作品が作られていくかは不明だけどユニバースにこだわらず1本、1本をいろんな切り口で再構築するのもいいかもしれないなと思います。
最後に
でもちょっと不満点が無かったわけでもないんですよ。例えばウェイン家の惨劇、いわゆる犯罪横丁でトーマスとその妻は射殺されブルースだけが生き残り、その経験が元になって彼はヴィジランテとしてゴッサムのダークナイトとなったアレを一つのシークエンスとして入れた事。tonbori堂はそのちょっと前のTV局のモニター画面の一つでそれを伝えるニュースがさらっと入ってくるんじゃないかと思ったんですが…最後のアーサーの笑みと呼応させるためにあの有名なシークエンスを入れたのだろうと思うんですけど…そこがちょっと不満点として残りました。いや全く持って些末な事なんですがそういう細かい所が気になるのがtonbori堂の悪い癖です(笑)
ただそこまでも想定範囲内だという気がするんですよね。それはホアキンやフィリップス監督のインタビューや他のキャストの話がネットでも伝わって来て余計にそう思います。実際真実はあるという風に監督は言っていますけど(何時か話をするそうですが今はその時ではないそうです。)混沌を起こすのが目的であればまさに『JOKER』として完結しているし、上手くやったなという感想しか出てきません。アーサーはホアキン・フェニックスという稀有な役者へのあてがきだそうですが、それも重要なポイントだったと思います。実際この役でアカデミー賞主演男優賞獲ってもおかしくないとそういう演技。それをスクリーンで観れたのは、本当にロードショー終わる前に駆け込み乗車でしたけど良かったと思います。これは本当に衝撃の1本でした。
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