『天気の子』については前に感想は書いたし、その上に『崖の上のポニョ』が放送された事での両作品の比較も書いてしまったので特段言うことがもう無いはずだったんですが、他の皆さんの感想を読むと、『君の名は。』で何気ない風景を美しく切り取り描写する事に腐心する新海誠監督が所謂綺麗ではないところを描写しているとあり…はて?いつも通りに綺麗な風景頻出してたやんと思ったら、どうやら新宿などの繁華街、裏通りのラブホテル街などなどがこれまでの新海誠監督の作品には無かった描写で目新しかったのか、きれいじゃないリアル東京!を描いているってなってて…いやあれリアルならもっと「汚い」ですよと思ったのがこのエントリを書くきっかけです。
傷だらけの天使
代々木会館は既に解体が始まり公開と同時に聖地巡礼した人にはぎりぎりその姿を見せていたそうですが、今は解体工事中だそうです。伝説のテレビドラマと謳われる『傷だらけの天使』のロケ地としても有名です。
(リンク) 「天気の子」聖地・代々木会館の解体始まる 「傷だらけの天使」にも登場 : J-CASTニュース
そこの描写から観てもライティングが明るくて、あまり危ない、危険という感じは感じなかったんですよね。それは書いたけど、結局、新海監督、精一杯東京のヤバいところを描いても心象風景が優先されちゃうのでああなったのかなと。 それともう一つ気になったのは、帆高にとっては東京という街は息苦しくない場所ではあっても優しくはない。でも優しいゆりかごみたいな街は願い下げだぜという部分も含めてそれって若者の反抗期みたいなものもかなりテンプレ…?という感じの事なんですが、そこは新海監督ファンの方も多く指摘されているし、その方たちが普通に指摘されているようにこれは童貞君の「卒業」物語であり、その文脈で言えばアメリカン・ニューシネマや70年代テイストにかぶれただけかなと思います。 だからあの結末に関してリアルな現在の問題点(貧困、環境問題)を玩具化しているラストに憤慨している人たちの事も良く分かるってなるんですが、それらにしてもこれだけ東京がリアルとか、描写が素晴らしいと書いてる人が多くてある意味、画の力ってのは凄いなと今更ながらに思わされました。
いや実のところtonbori堂は画が綺麗で(それは新海誠監督のスタイルでもあります)写実的ではなくフォトジェニック。それだけに、なんだろう架空の絵空事感がさらに強調されてしまっているというか、そういう印象を強く受けました。 須賀のK&Aプランニングの事務所辺りは、元スナックだったところは少し雰囲気あるなと思ったけど、『傷だらけの天使』のあの屋上ペントハウス(というかバラック小屋)や『探偵物語』の工藤探偵事務所、最近では『まほろ駅前番外地』の多田便利軒の事務所にある猥雑さがあまり感じられなかった。その部分ではやっぱり作品に100%乗り切れない部分が出てしまいました。 その他いろいろ『天気の子』関連の感想をさらに読むと読んだけど前作に比べてという話での猥雑な街描写は確かにありましたがやっぱり何故か全てがフォトジェニックな世界なんだなと。美術的に代々木会館の中は汚れているんだけど匂い経つものが無いというか…背景と絵柄から受けるパンチは軽い感じでした。(見た世界が美しいのは新海誠の特徴的なスタイルなんですが)
エロゲーとセカイ系
結局借景からのパンチが弱いので最期のスペクタクルもガツーンとtonbori堂にはこなかった。でもある経験を積んだ人にはこの文脈が読める。そういった人向けに作られている…はずだったのに興収100億越えもというのが単純に凄いですよね。これはもう今の気分がそうなってきているのかなあと。我々の世代だとショーケンとか『相棒』をやる前の尖ってた水谷豊はそういう尖った人たちの代表格みたいなもので、思えばそのショーケンが『太陽にほえろ』という70年代から80年代をけん引した刑事ドラマの若手刑事の殉職(しかも本人の希望によりカッコ悪く)というフォーマットを作ったというのも伝説だし、そういった2人によるさらに伝説級のドラマ『傷だらけの天使』所縁の場所を重要なキーポイントとしたのはなんとなく字面だけな気がしないでもない気がしてきました😅
それが悪いとは言いませんが先のエントリでも書いたように廃ビルは一種の異世界感がありフィクションでは便利に使えるキーストーンみたいなものですから。でもまあ本音を言えば動機が軽いんちゃう?みたいなところはあります。まあその辺りもこれまた新海誠作品を網羅し、その経歴とその作風を理解している人から見ればこの’90年代後半から’00年代にかけてのエロゲー(主にシナリオ分岐型アドベンチャーゲーム)でよくある状況、設定とセカイ系というワードで解説できるようです。残念ながらそれぞれのそれでの鋭い解説を読んでもそのゲームをしていないtonbori堂には的確な論評は出来ませんが、分岐のあるアドベンチャーゲームやセカイ系の走りになったエヴァンゲリオンも観てきているので、ある程度理解は出来るし、いわゆる選択の物語としても面白い論考だなとその部分は感心する事が多くありました。
ちなみにセカイ系の定義として『主人公とヒロインとの関係性のみで語られる世界』『その関係性が世界の危機に直結し、具体的に関与する人々が希薄』とtonbori堂は理解しているんですが、とすれば『天気の子』は完全にセカイ系ですよね。そしてその中心軸に位置したゼロ年代エロゲー(アダルトゲーム)に新海誠自身も関わっていたことも確かにと納得させられる話です。そこに70年代の香りを持ち込んだのはプロデューサーの川村元気であろうという話もこれまた納得できるものがあります。とは言えそれらの食い合わせ、一見上手くいってるようにも見えますが、tonbori堂はあまり上手くいってなかったかもなと思っています。それならば売れる要素マシマシで新海誠要素をブレンドしたと思われる『君の名は。』の方がああ、確かにこれは売れますよねって感じで納得できる。
なので今回前作がヒットした事によりクリエイティブなハンドリングでかなりの部分が監督自身でとれたということで、さらに自分の作風に寄せていったからこそのあのラストになったんだろうし、それに関しては殆ど文句はないし、実のところ帆高と陽菜の序盤から展開も納得は出来ているんですが、どうしても背景というか空気感の違和感が拭えなくて、なので台詞が上滑りしている感があったかなと。それだけで全否定はしないけれど今回の展開が単純に70年代の気分にあっていたのでそういう引用をしてみたけれど(そしてそれは分かる人にしか分からない)所詮は借景なためそこが違和感として自分の中に残ったのかなと今では思っています。庵野監督はそこで『太陽を盗んだ男』にいったり、あとはウルトラなどの特撮に行くところで別のマニアを刺激する訳なんですけど結局その人の色を濃く映し出すのはその人が好きな事で、そこが刺さるかどうかって問題ですよね。
気分はもう
そういう感じで、ちなみにタイトルは大友克洋/矢作俊彦の『気分はもう戦争』と日活の原田芳雄主演作『反逆のメロディー』をくっつけたもので、つまりそういう気分なんだよねと。でもあの時代の沸々としたものが両方にあったけど、食い合わせてみると、なんだかそれは本当かい?ってなる。そういう気分を表してみました。それでもこの作品、百億越えなんだからやっぱり「気分はもう」そういう感じなのかもしれませんね。しかし我ながら3本も同一映画ネタで書いてしまうとは😅一周回ってこの作品、割と好きなのかもしれません(苦笑) あと最後にまったく関係ないけど東京が水没ってエヴァや攻殻機動隊SACでもそうだしもしかするとクリエイターとしては一度は水没させたい場所なのかもしれませんね(笑)これ前回書いたポニョと天気の子のエントリの時に書いておけば良かった(笑)
※『傷だらけの天使』は70年代を代表する名作ドラマです。サントラもまたカッコイイ。
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※『気分はもう戦争』矢作俊彦・原作/大友克洋・画による漫画。一家に一冊。『反逆のメロディー』は原田芳雄の初主演映画です。
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