このところTwitterでジョン・レノンの名曲「イマジン」について色々取り沙汰されていました。発端がよく分からないので静観してたんですけど今に至るまでなぜそうなったか発端は不明です。いやそれは正しくないですね。発端は今から5年前にある人が発したツイートにリプライしたツイートが元になっています。それについて今回はちょっと書いていきます。
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それはあるツイートからはじまった。
脳科学者の茂木健一郎氏が2014年に発したツイート
ネトウヨの方に質問したいことの一つは、みなさんはジョン・レノンのImagineはお好きではないのですか、ということ。「想像してごらん。国がない世界を。そのために殺したり、死んだりする必要がない世界を」という歌詞なのですが、やっぱり嫌い? ジョンは、お花畑?— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) June 14, 2014
このツイートが何故2019年の今になって再度取り上げられたかは分かりません。このツイートに対するアンサーに対して?それとも別のツイートかもしれないけれど、それに絡んだITジャーナリストの佐々木俊尚氏のツイートが浮上した事にも関係しているかもしれません。
笑。ジョンレノンのイマジンのような曲は、1970年代という時代だったからこそ光り輝いたわけで。しかし残念ながら、もはや前世紀のノスタルジーです。 https://t.co/RSvu02opig— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) August 4, 2015
それについてはコラムニストの小田嶋隆氏が一連の流れのどのタイミングで発言したかは追えていないんですがこのツイートで取り上げたことも無関係ではないと思います。
あなたの「世界」が変わらないのでしょう。— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年4月14日
ただし、音楽をきっかけに自分の「世界観」を多少とも変更する人が現れれば、その分だけ「世界」は変わったことになります。たとえばの話、私がいまこうして、「イマジン」が書かれた50年後に仕事をしていること自体、あの歌と無縁ではありません。 https://t.co/EIFlGWhVTw
あなたが「カッコ悪い」という言い方でほのめかしている「誰かさん」は、どうやら私であるようなので、ひとこと説明しておきます。— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年4月16日
私が3年前の佐々木俊尚氏のツイートを蒸し返したのは、5年前の茂木健一郎氏のツイートにいちゃもんをつけた某氏のtwを、佐々木氏がRT拡散していたからです。 https://t.co/k6FPYLEOci
それに関しては別にダメだと思わないし、かといって全面的に賛同しますというものではありません。それぞれに言い分があってどちらかが正しいという判断はそれらのツイートを読んだ上でそれぞれに判断して欲しいと思います。出来れば「想像して」。
IMAGINE
イマジンといえば「想像する」という意味ですがここではジョン・レノンの有名な楽曲を指しています。1971年に発表された同名タイトルの1曲であり、ソロ時代の彼の代表作と言ってもいいでしょう。
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その歌詞の内容から反戦の象徴としても取り上げられたり、平和を希求する曲としても有名です。歌詞は以下のサイトよりどうぞ。
ソース|JOHN LENNONさん『IMAGINE』の歌詞
イマジン
words by ジョンレノン
music by ジョンレノン
Performed by ジョンレノン
想像することで人は変われるはず、国境、宗教、人種で人は縛られる事は無い、もっと自由な存在である事を謳った歌詞だということは分かるはずです。もっとも歌いだしで「想像してみて、天国のない世界を」という事で宗教系(キリスト、イスラームその他天国を信じる人々)の人たちから眉を顰める結果になったりはしているようですが、あくまでも地獄もない、穏やかな世界があるはずという意味合いなんですが、地獄も天国もあるという人にとってはそりゃ受け入れがたい話ではあるんですよね。
だけどそれさえも受け入れて想像してみよう、この世界は広くみんなが手を携えることが出来ればもっと住みよい世界になるはずという夢を実現するには一歩だけ踏み出してはという歌詞はいい歌詞だと思います。もっとも歌だけで戦争が無くなったり、全てが好転するものではありません。これは山下達郎さんの言葉なんですが「歌は傷ついた人たちにそっと寄り添い、または癒すもの」これは9.11や東日本大震災以降で達郎さんが度々おっしゃっている言葉です。
戦争を止める事は出来ないけれど歌に何かの役割があるとすればそういう部分を担う事ではないかという事から言えば「イマジン」もレノンの想いが何時かは皆に伝わればいいという風にtonbori堂は思います。すぐに救えなくても絶望せずにさらに次へとつなげていく。「イマジン」にはそういった力のある歌詞だと思います。
オールディーズ・バット・グッディーズ
単純なリリックは時代を超える、または耐えうる力をもっているというのは「佐野元春のソングライターズ」でも言われている事ですが、この「イマジン」はその強度をもったリリックです。それを70年代に光輝いただけで断じてしまうのは如何にも彼は時代の寵児であったというだけに近い話だと思います。そうでなければ「イマジン」は今の時代に残っていないはずです。
オールディーズ・バット・グッディーズと言うのはそのオールディーズには幾万の曲があったがエヴァーグリーンたるものしか残っていないという話もあります。(当然埋もれた名作もありますがその埋もれた名作の周りにも消えていった作品がある訳です)そういう意味では「イマジン」はエヴァーグリーンであり、決してお花畑だけのものではないとtonbori堂は考えます。もっともこれは極個人的な考えでありますが。
喧々諤々
この件で論議するのは悪く無い話だとは思います。楽曲の良さを知る意味でも、またこう思うという話をする事にとっても。また反論は冷静にすればいいんですが現状、「イマジン」なぞリベラルのお花畑な頭のテーマソングでしかないという人達に対して、このバカもの共めというかの曲の良さが分からん痴れ者どもは去れみたいになってて百家争鳴ではなくただの鍔迫り合いに見えるのが残念なところです。
と書くとあんたはどっち側って話になると思うんですが、どっち側っていうのも完全に一方が悪ってなるのでそういう考え方もちょっと違和感があります。もちろん聞こえのいい話で両論併記しながらも巧みに相手を騙すという詐欺師論法というのもあります。いやどっちかそうだという話じゃないですが。それぞれの言い分を精査して「想像」することをも大事じゃないでしょうか。そうちょっと思ったんですけどね。
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ちなみにtonbori堂はジョンはあんまり好きじゃないです。どちらかといえばポールですが、ポールよりもジョージ派です。だからポールのライブにも行ってません。ジョージの生が聴けなかったのが残念です。(ちゃんと彼らの音楽を聴きだしたのが社会人以降でしたがジョージのライブに行く事はついぞかないませんでした。)
だけど彼らの残した幾多のエヴァーグリーンは今も輝いているしこれからも輝く事だと思っています。そして自分の好みじゃなくても一概に切って捨てたり揶揄したりする姿勢はあまり好きじゃないですね。リスペクトをもって欲しいと思います。それを作るという才能に対して。それとともに名曲やアーティストへの盲信は道を誤らせるし、無関心は国を滅びの道へと歩ませる。想像力の欠如はそのすべてを内包している。人間は完全無欠ではないから時に諍いも起こるけれど、ともかく相手を嘲笑し揶揄し高みの見物を決め込んだり、攻撃的にこきおろすのだけでは多分歩み寄ることなど無理なのかなと思っています。
それを放置しているといつか来た道へ戻ってしまうぞという危機感だけを持った人たちと、この状態は混沌とした世界ではまあまあマシなほうじゃないか、なら何も考えんでいいという日本沈没で何もせんでいいという派な人たちの戦いのようにも見えてくるのですが…。それこそ「イマジン」から遠ざかっている気がします。まさに『日本沈没』で小松左京先生が予見した未来が今の時代に来ているなと感じます。どんな歌でもどんな曲でもともかく歌詞というのは時代を写すポエトリーとは佐野元春が「ザ・ソングライターズ」で言ってたように思うんですがこれを機に歌詞をじっくりよんで考えてみるのもいいかもしれません。あとそれは『イマジン』に限った話ではなく他の楽曲の歌詞、流行歌の歌詞、それぞれに込められたものがあります。そういうのを「想像する」のもいいんじゃないでしょうか。
※『イマジン』はAmazonMusicのMusic Unlimitedに加入していれば聴き放題です。
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