タイトルが既にネタバレですみません。実のところ「事件」だの「犯人」または「真犯人」あたりのワードも考えましたけど、この映画は、それは重要だけど重要じゃないんです。なのでいつも通りに書いてみました。アカデミー賞ノミネートの『スリー・ビルボード』についてです。
スリー・ビルボード
舞台はミズーリ州のエビングという小さな町です。架空の町ですが、アメリカの田舎の小さな町で住民は殆ど知り合い。住民の付き合いも濃く、毛色が変わった人はすぐに爪弾きにされるそういう町のお話です。監督はマーティン・マクドナー、劇作家として名を馳せた後、映画に進出。ディクソン役サム・ロックウェルとウィロビー役ウディ・ハレルソンが出演している『セブン・サイコパス』という映画を製作しています。ミルドレットにはコーエン兄弟監督の映画『ファーゴ』でアカデミー賞主演女優賞を獲ったフランシス・マクドーマンドが演じています。この作品でマクドーマンドは2つめのアカデミー賞主演女優賞を、ロックウェルはアカデミー賞助演男優賞を獲得しました。
ストーリー
※お話の最後まで書いていますが出来ればこの作品は内容を知らずに観る事をおすすめいたします。どうしてもという方はお読みください。ただこのストーリーを読んでも、何が起こっているか分かりづらいと思います。キャストの演技を観てこそ、このストーリーは生きてきます。ですので出来れば作品を鑑賞していただければ幸いです。
【ネタバレ】
ミズーリのエビングという小さな町である事件が起こった。それから数カ月が過ぎたある日、近くに住むミルドレット・ヘイズは道路に朽ち果てた広告看板の1年間の権利を買う。そして3枚の看板にあるメッセージを張り出した。『娘はレイプされて、焼き殺された』『まだ犯人は捕まらない』『何故?ウィロビー署長』パトロール中の警官ディクソンがその看板を見て慌ててイースター(復活祭)の晩餐中のウィロビーに連絡を入れる。ウィロビーはなんとか事態を穏便に収めたいと考えて、ミルドレットに会いに行くが、彼女はにべもない。そこでウィロビーは自身の秘密。実はガンに侵され余命いくばくもないという事を打ち明けるが、ミルドレットはそれは町の人間なら、誰でも知っている。あなたが死んだら誰が責任をとるの?と突き放す。
ディクソンは黒人への虐待や暴言で問題視されている警官だがウィロビーは何かと気にかけていた。そのため父親のいないディクソンも彼を慕っていた。そんなディクソンは看板の広告会社の若いオーナー、レッドを脅すが彼はのらりくらりとかわすのみ。町では人格者であり、さらには余命いくばくもないウィロビーに同情が集まり、ミルドレットに広告を引き下がられようと教会の神父や別れた元夫が訪ねてくるが頑なに、そして手ひどく追い返すミルドレット。実は娘アンジェラが殺された朝、彼女に外出のための自動車を貸す、貸さないで諍いとなり『レイプされるかも』といったアンジェラに『されるがいい』と投げかけたため深く自分を責め、それを外への攻撃に転化していたのだった。
ある日、ミルドレットは歯医者へ治療へ出かけるとウィロビーに同情的な歯医者は麻酔無しで彼女の歯を抜こうとする。麻酔は打ったものの効き始める前に歯を削ろうとした歯医者に逆襲して爪に穴をあけたミルドレットに歯医者は告訴すると息まきウィロビーたちがギフトショップにやってきて彼女を警察署に。しかし彼女を尋問中にウィロビーが吐血してしまい、病院にかつぎこまれた事で残された時間はあと僅かであることをウィロビーは悟る。その後レッドはミルドレットに広告料が手違いでまだ前金としてしか入っていないとミルドレットに告げるが、誰かが料金5000ドルを寄付してくれ広告は無事掲載されることになる。
そんな状態でなんとか広告掲載を止めさせたいディクソンはさらなるミルドレットの圧力として彼女のギフトショップの店員で友人であるデニスをマリファナの所持で逮捕、拘留してしまう。それでも広告掲載をやめない彼女だったが、ウィロビーが湖畔で娘たちをピクニックを行い妻と楽しい時を過ごした後に馬小屋で自殺をしてしまう。それに対してディクソンは激怒しレッドを殴打した上に窓から放り出し事務員の女性にも暴行を働く。その後やってきた新署長にクビにされてしまうディクソン。ミルドレットのギフトショップには見知らぬ男性が嫌がらせにやってきた。そこにウィロビーの妻がやってきたため男は去ったが彼女はウィロビーのミルドレットあての遺書をもってきたのだ。
ウィロビーの遺書には「自分の自殺は看板のせいではない、捜査が進展せずに申し訳ない。しかし証拠が出ない事件もある。そのうち犯人がつい自慢などボロを出すかもしれない。希望を捨てちゃダメだ。看板には腹が立ったが、反面いいアイデアだと思った。だから5000ドルを出しておいた。殺されるんじゃないぞ」と記してあった。ウィロビーの死にショックを受けていたミルドレットはその手紙を読んで一人むせび泣く。しかしその夜、看板が何者かに放火され焼け落ちてしまう。町の悪意につぶされてなるものかとミルドレットは目には目を歯には歯をで警察署に火炎瓶を投げつけて放火してしまう。
その警察署にはウィロビーからの遺書を取に来たディクソンがいた。「おまえはいい警官になれるはず。ただ今のままではダメだ。愛をもたなくちゃならない。お前の夢は刑事になることで、なりたいのだったら愛を持って皆に接しろ。」と記してあった。その時窓が炎で割れ警察署が火の海ということに気が付く。慌ててアンジェラの事件ファイルを燃えないようにして外に飛び出すディクソン。それを見て呆然とするミルドレット。偶然通りがかった中古車セールスマンのジェームズがディクソンの服の火を消した。現場にやってきた新署長がミルドレットとジェームズに尋問するがミルドレットに好意を抱くジェームズはミルドレットと一緒にいたといい、ミルドレットはお礼に食事を一緒にしようと約束する。
燃え落ちた広告は広告を作ったジェロームが予備をとってあると持ってきたため翌日にその予備を貼ったことで事なきを得た。ディクソンは病院にかつぎこまれたがレッドと同室になる。包帯でディクソンと気が付かないレッドは世話を焼いてくれるが、ディクソンはそんなレッドに謝罪をする。ディクソンと分かったレッドは、黙っててくれと言うが、オレンジジュースを注いでそっとベッドサイドに置いてくれるのであった。
ジェームズへのお礼に彼とデートをするミルドレットだったが、そこに元夫のチャーリーと再婚相手の19歳のペネロペと食事に来ていた。あの日酔ってかっとなり火をつけたのは自分だというチャーリーに呆然とするミルドレット。ついジェームズにつらくあたるが、自分はただ楽しく食事をしたかったのに下にみられてそこまで言われるとはと席を立ってしまう。一人取り残されたミルドレットはチャーリーを責める事もなくワインを置いてペネロペに彼と仲良くといって席を立つ。
退院したディクソンは町の酒場で酔っ払っていたがそこにやってきた男連れがレイプをしてその被害者を焼き殺したと自慢をはじめた。喧嘩をふっかけDNAサンプルをとることに成功するディクソン。ミルドレットに会いに行きもしかすると犯人かも知れないと告げる。しかし署長に提出したサンプルは一致しなかった。彼は軍人で犯行のあった時は国外にいた。「砂の多いところ」と署長は語るがディクソンにはそれがどこか分からない。でも人を殺したことを自慢した男が野放しなのかと憤る。
失意の中、ディクソンはミルドレットに電話をしDNAは一致しなかったと、希望を持たせてすまないと謝罪する。しかし男を野放しにはしておけない、自動車のナンバーはアイダホ州のものでそこからたぐっていけるとミルドレットに話す。するとミルドレットも「奇遇ね、私もそちらに用事があるの」と告げる。翌朝2人は自動車に散弾銃を積んでミルドレットの家を後にする。車中でディクソンにミルドレットは話しておかなければならないことがあるといい「私は警察署に火をつけたの」と告げるとディクソンは「あんた以外に誰がいるんだよ」と返す。そして男を殺すことについてどう思うかと問うとディクソンは「あんまり」といいミルドレットも「あんまり」と言う。「道々、どうするか考えよう」と言いながら2人はアイダホへ向かって車を走らせてゆくのであった。
三つの赦しの話。
こちらの感想もネタバレしています。ご承知おきください。
ミルドレット
ミルドレットは、個性的というよりは独立心旺盛にしてDV夫にも怯まないタフな女性です。ですが今回の一件は自分への罪のように、追い込んでいくかのような事ばかりをして身内である息子にも呆れられ(それでも彼は完全に母親を見捨てません。ひどい事もいいますが、なんというか血の結束みたいなものを感じます。)ながらも一心不乱、突き進んでいきます。多少気を許しているのは職場の同僚であるデニスくらいですが、それでも深い仲ではありません。というか他人が付け入るのを拒否さえします。ウィロビーがわざわざ訪ねてきた時も平和的に解決したかったからというのが分かっているけれど、世界中が敵ならあんたも敵だといわんばかりに、痛い所をついてきます。
ですがウィロビーからの遺書を読むと泣きもする。本当は崩れそうになるのを自分への怒りでつなぎ止め、それを外へ向けている。それがミルドレットです。怒りの季節とはよくいったものですが、ウィロビーの死とその後に届いた遺書、怒りに任せた放火での結果を経てやっと赦しを受け入れられる。人というのは愚かしくも愛おしいという事を体現しているとともに報いはかならずやってくるという説話にもなっています。
ウィロビー
エビング警察の警察署長で町の人から信頼されており、美しい妻と可愛い2人の娘がいる、良き家庭人で、仕事も出来る人物…なんですが、問題だらけの部下であるディクソンをかばったり、実は余命いくばくもなかったり。基本的には善人なんですけれど、事件捜査を再開させても証拠が殆ど無く採取されたDNAも一致する人物がいないという(犯罪データベースに)完全な手詰まりの中、被害者家族に責めらてられ、でも町の人たちは自分が病に侵されているので同情的という、息苦しさ中、吐血して残された時間がいよいよ少ないとなった時にとった行動がまたなんとも哀しい。
ですが彼には彼のルールがあってそれに沿っただけです。残された家族にとっては悲しみしか残りませんが。もしかするとミルドレットの看板のせいじゃないといいながらも、残された家族がミルドレットのせいだと思う事で悲しみを紛らわすとまでは言いませんけど、自分へ怒りを和らげるとか計算…してたのかなあ。でもお金の事は多分ミルドレットだけの秘密だし…。また馬小屋で自殺するというのもいろいろ示唆的で、この映画、赦しをテーマにしているのにキリスト教には、いやキリスト教を信仰している人たちには割と挑戦的に見えます。ミルドレットが説得に来た神父をギャングを例えに、世間を騒がした小児性愛を引き出しお説教なぞまっぴらごめんだというシーンもそうだし、ウィロビーの自殺はキリスト教では大罪、そして馬小屋という場所。お為ごかしはもういらないと宣言しているようにとれました。
ディクソン
彼は非常に複雑な人物で、恥ずかしながらウィロビーの遺書を読むシーンまで彼の重要な情報を私見逃していました。いや聞き逃していたというべきでしょうか。彼の聴いていた音楽はABBAの「チキチータ」です。FOXサーチライト・マガジンVo.10スリー・ビルボードissueの映画評論家の町山智浩さんのコラムページによると彼のセクシャリティはゲイでABBAの「チキチータ」を好んで聴いているというのはその事を示唆しているのだそうです。
ウィロビーは遺書で「ゲイだと言われたら同性愛差別で逮捕しろ」とディクソンに語りかけています。ミズーリの片田舎は旧態依然とした世界で物事が動いています。当然新しい波も来ている事は来ていても、根付いたものはなかなか変われません。そこで自らのセクシャリティがゲイというのは勇気以上に危険なこともはらんできます。そんな自分を理解してくれていた人は、必要なのは愛だと書き残してくれた。その時に彼の何かが変わったのは、ウィロビーの遂げられなかった仕事を完遂すること。だからアンジェラの事件ファイルを命懸けで護ったのです。
その後、ディクソンは火傷をおって包帯姿で病院にかつぎこまれますが、なんと自分が窓から放り出して大けがを負わせたレッドと同室になります。そこで心配してくれるレッドにディクソンは謝罪する。当然レッドは困惑します。でも目の前の哀れな姿の男が包帯姿で謝罪することで、そっとオレンジジュースを差し出す。でも顔は背けます。赦しというのは本当にちょっとしたことではあるけれど乗り越えるのは難しいということを表したいいシーンだと思いました。
全てを赦すことは出来るのか?
それは分かりません。罪を赦すことがテーマのこの映画でも明確な答えは出しません。それは人間とは間違いを起こす生き物だという諦観。それでも変わる事は出来る、きっかけさえあればという希望。その両方を描き出して見せたとtonbori堂は思います。でも気が付いたときは手遅れだったりすることも多いんですが、最後日の当たるところで終わったのは、まだ希望は残っている。そういうことなんじゃないかと思いたいですね。いい映画でした。お時間あるならどこかで観て欲しい1本です。
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