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イノセンス・・・それは・・・|『イノセンス』|tonbori堂アニメ語り

2013年11月14日木曜日

anime movie SF

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 「ロバが旅をしても馬になって帰ってくるわけじゃねえ。」というのは作中の台詞なんだけれど押井監督は何をやっても押井監督なんである。だからイノセンス…それは………押井守って訳なんである。エントリーのタイトルにつけたのはキャッチコピーの「イノセンス それは、いのち」からつけてみた。以前に目にした何かの記事では外国でも『GHOST IN THE SHELL』の押井監督最新作ということで前評判は高かったが難解で解りにくいというのを目にした。だがどこまでいっても押井監督は押井監督らしさで作品を、世界を作る、世に問うしかないという性(さが)を観た気がする。だからやっぱりこれは押井守なんである。

『イノセンス』|監督:押井守/プロダクションI.G/ロゴはイメージです
『イノセンス』|監督:押井守/プロダクションI.G/ロゴはイメージです

押井監督のアニメ術の極北

 自身もこの作品はここ数年で観たアニメ映画の中で、いや実写を含めて確かに韜晦(とうかい)した映画だったと思う。木を隠すなら、森の中。アニメの本質を隠すならそれは絵の中だ。だがそうやっても滲み出てくるものが押井守の本質。そこを見極めろと言わんばかりのレイアウトだった。当然そうなると画面密度の濃さは、それはもう濃密なものだったと思う。バトー達が踏み込むハッカー、キムの館、北端の風景、発砲する巨大戦艦。etc・・・。押井監督のレイアウトが極致に達した仕事として一つの到達点に達した作品だと言っていい。


 しかしお話としてはアクションバディ物として作られているのだから押井監督という人の仕事に対するスタンスというものが垣間見える作品ともなっている。けれんのある画面や台詞、ダイアローグで押す押井印の長く冗長なやり取り。哲学やことわざの引用を引いてそれとなく伏線を散らすかのような仕草。だがやっていることは至極真っ当な相棒モノだ。ただバトーとトグサ、そしてバトーと素子という2つの入れ替わりがあってバトーという男の悲哀を浮き立たせる。アクションバディモノを骨格に入れているから余計に孤独なヒーローの寄る辺なきノワールとしても成立している。

GHOST IN THE SHELL とイノセンス

 『攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL』では「GHOST(ゴースト)」とは電脳化されている人の自我、心というべきものと定義されている。原作では魂とは既にその人格を成す元型としてあるものと既定されているように思っていたが、ゴーストが全身が義体(機械)であるサイボーグのいったいどこに宿っているというアイデンティティの問いかけを(これはまた確かに基本的な問いになる)衒学的でもあり、また神話性帯びた演出で描いたのが押井監督だった。それはまた原作とは全く違うアプローチであったが。


  原作者である士郎正宗と押井監督とではその理解が違うが監督は、自我とは心とは?という問答を問いかける果てに、ネットの情報から生まれた知性(インテリジェンス)に身を任せた女性が主人公とそれを見守るバディのバトーのストーリーが『攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL』だったが、『イノセンス』では、たった一人リアルの世界に残ったバトーの物語で、ソウルメイトであったと思っていた少佐と、リアルでのバディであるトグサとのレイヤーを対峙させて描いた、バトーのちょっとクヨクヨしたセンチメンタルなお話がこの『イノセンス』なのだ。だからアクションバディの入れ子構造と寄る辺なき男のノワールが匂いたつ作品となっているのである。

真に美しい人形があるならそれは…

  また『攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL』の問いかけであるゴーストとは?さらにそこから心というものは?どんなカタチなのか?それは人、心が宿っていればそれは人、それとも人形?なのか?という物に対する愛情(フェチにちかいかもしれない)にまで言及した、それも士郎正宗の原作『攻殻機動隊』にはあるもののまったく別のもので、この作品ではさらに押井監督の趣味があふれ出ている。セクサロイドのハダリやそれを分析する警察の鑑識官。キムの館にいる人形たち。そして素子がそのボディとしてまたハダリを使ってバトーの前に現れるのも極めて示唆的だ。だからこの作品は『天使のたまご』のようなパーソナルな作品とビジネススキームとの危うい境界線にある作品になっていると言っていいだろう。ジブリの鈴木敏夫に一枚かませているのも非常に押井監督らしい。


 人形に魂が宿るのか?それともそれに宿ると人が思えば宿るのか? 結局、セリフが韜晦していることが多いので難しい言葉は少々聞き飛ばしても本質は行動にあらわれているのでそれを観れば理解は出来るかと思う。但しセリフにも意味がないわけではないので気になる方はDVDで繰り返し観ることで満足できることになるだろう。それは画面の情報量はやっと統一規格となった次世代DVDであるBlu-rayでも完全再現出来るの?という密度なので画面フェチにも堪らない一品かもしれない。

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