「さらにいくつもの」に込められたもの。|『この世界の(さらにいくつもの)の片隅に』感想-Web-tonbori堂アネックス

「さらにいくつもの」に込められたもの。|『この世界の(さらにいくつもの)の片隅に』感想

2019年12月25日水曜日

anime movie

X f B! P L

 アニメーション映画『この世界の片隅に』は3年間のロングラン興行となった稀有な映画作品でした。その映画に30分ほどの追加シーンを新たに加え再編集したのがこの『この世界の(さらにいくつもの)の片隅に』です。最初に原作から使われなかったシーン、予算と尺の問題で泣く泣く切ったものがあって、それは何れ長尺版としてやりたいという事を片渕須直監督がおっしゃっていましたが、その長尺版から新たなタイトル『この世界の(さらにいくつもの)の片隅に』が付けられ別の側面を見せる新たな作品となりました。

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』応援チームの名刺とカード。
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』応援チームの名刺とカード。
後ろはクラウドファンディングのリターンとして頂いたすずさんからのお便り。

リンとすず

 パンフレットでの監督のインタビューにも詳しいですが、『この世界の片隅に』では道に迷った、すずに道を教えてくれるだけのシーンに出てきた憂いのある優しい遊郭の遊女、リン。彼女のシーンは映画ではそこだけでしたが、原作ではその他のエピソードが紡がれており、『この世界の片隅に』でも原作への手がかりは残してあるものの、彼女に対して細かく語られる事はありませんでした。それは監督が最初に映画を製作する時点で真木プロデューサーに予算に対して尺が長い、どこかを切って欲しいという話をしたところ、リンとすずとのエピソードは非常に重要なエピソードであるもののこのまま映画の尺に併せて取り込むと存在するだけの軽いもの、添え物となってしまうと考え、ここをカットされたとあります。


 そのため完成した本編では、広島、江波で生まれたすずさんが、普通の生活を送っていたけれど戦争の影が忍び寄る時代に、呉にお嫁に行った3年間を切り取った作品となっています。一代記でもないけれど、すずさんの人生の点描として呉と北條家での生活に絞った事で映画としてもすっきりと観やすく、それぞれがあの時代の事を想い馳せる事が出来る優れた映画となったのですが、そこに原作でも重要な役割を持っていたリンさんという人物の描写をさらに編みこむ事によりこの映画はさらに色彩が豊かな作品となり、陰影がさらに濃くなりました。

すずさん

 すずさんの人生での重要なポイントを冒頭に持ってきてそれが後にという構成は前作『この世界の片隅に』と変わりません。ですが、少しづつ足されたシーンやリンさんとのシーンやそれに続くテルちゃんとのシーンが追加された事により、北條周作とリンとの関係が浮かびあがり、小姑である径子や北條の家の事がさらに底辺に流れる事ですずさんという人の心象風景への深み、それは良い面も悪い面も含めて単純ではない、もちろん前作でもそうだったんですがさらに深く複雑な想いが渦巻いている事が迫ってくる事になりました。

その時代だからこその台詞、そしてやり取りの中で、想いと言うものは何時も同じなのか?という問いかけもよりはっきりと浮かび上がるし、自分の居場所はここなのかという想い。単純な自立とは違う、時の流れに翻弄されながらも気が付きそれを受容できるのか?あの時代だからこそ普通とは何なのかという事がより厳しく問いかけられることになっています。

リンさん

 リンは遊郭の遊女です。彼女の生い立ちは本編自体では深く語られていませんが、母親が子沢山で早くに亡くなり口減らしで女衒に売られたというような示唆があります。現代だと搾取されているだの、可愛そうだのというカテゴリーに入れられてしまう女性ですが、時代背景だけではないリンという人物自身がそれを薄幸さはあっても芯があり、今、生きているという事を受け入れ2本の足でしっかりと立っているからこそ凛とした空気を纏っています。


 そんなリンは普通なら弱いというパーソナリティを充てられることが原作、そしてそれをベースにした『この世界の(さらにいくつもの)の片隅に』では別の強さ、したたかさを持ち合わせた達観した女性として描いています。だからこそすずさんはリンさんに何一つかなわんよと弱音を独白してしまう。もちろんリンだってその見かけだけではないはずなんだけど、彼女の持つ存在感は前作に登場した時より、描写が増した分、そしてすずに与えた影響が別の様相をもこの作品に持ち込むことになったのです。


 リンとすずは幼い頃に一度出会っています。それを示唆する台詞が出てくるのですがそれは『この世界の片隅に』でも触れられていました。あの時は、この2人は幼きときに出会って今また邂逅した、しかしその立場には隔たりがあるというのに留まっていましたが周作とリンの関係にすずが気が付き、その後北條家に疎開してきた小林の叔母によって詳しい背景を語られるにいたり彼女の鬱屈した心はさらに澱のように溜まっていく。『この世界の片隅に』だけでは晴美が死んだことだけにフォーカスして気が付きにくいし、表層的だったものが(それでも伝わる部分は十分に大きいけれど)リンとの触れ合い、そしてテルという若い遊女と交わした短い会話、その全てが徐々に溜まっていった結果、あの空襲で晴美さんが死んでしまった事に全てが繋がっていく様は非常に重いものを観る人に突き付けます。


 戦争があろうともなかろうとも人はつながりが必要な生き物です。でも各人それぞれ違うからいろいろ齟齬もあるしぶつかりもする。いじめられたり生きづらかったり。それでも生きている人は生きていく。そして死んでいく。なんとも残酷ででも力強いメッセージなんだろうとかつて二葉館があった朝日町の焼け跡にすずさんがリンさんに語りかけた時…そう聞こえました…。

パンフレットを読んで

 パンフレットを読んでいると北條家に最初は持ち物疎開でやってきた小林の叔父さんと叔母さん、その後北條家にいる描写があって、ラストに孤児のヨーコちゃんが連れてこられた時にもいたんですが、謎の存在であるという話をされておられて面白いなと思ったんですね。実はtonbori堂の母はヨーコちゃんと歳が近くこの戦争の事も覚えています。母の父の母、ようするにtonbori堂のひいおばあちゃんのお家に疎開し以後そこに成人するまで住み続け祖母も鉄砲水で流されるまでそこに暮らしていました。そういった戦時中の話は空襲の事や闇市に妹をおぶって行った事は聞いていたんですが、そのお家での話は聞いたことが無かったんです。でもこの夏NHKで『この世界の片隅に』の放送があって、ともかく両親にも観てもらったんですが、母が北條家に焼夷弾の不発弾が落ちてきたシーンで焼夷弾の落下音は今も耳に残っているといいだして、そのあとそのお家での事をあれこれ話してくれました。空襲時に焼出された親戚郎党がその家で暫く一緒に暮らしていたそうです。終戦後もけっこう長くいたとか。祖母の家はそれほど大きい家ではなかったですけど、なんと屋根裏(部屋にはなっていません)まで住んでいたとか。雨露をしのげるならばという事だったようです。そう言えば今回の追加シーンでは枕崎台風のシーンもありましたが、関西では昭和東南海地震もありましたし翌年には南海地震も発生しています。本当に大変な事が戦争が終わってもあった訳です。それでも生きねばならぬ…。そういう事にも少し想いを馳せました。

パンフレットの中身、クラウドファンディングのハガキを紹介
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』パンフレットより。クラウドファンディング特典ハガキ
前に置いているのはハガキの表です。(住所は架空ですが一応消しています)

 パンフレットは片渕監督のインタビュー他にもスタッフ、キャスト、原作者のこうの史代さんのお話に資料など非常にお買い得な内容になっているのでかなりお買い得感あります。暫くはこれを眺めて映画を反芻したいと思うぐらいです。

さらにいくつもの片隅に

 このタイトルに込められたものは追加され新録された音声だけではなく、その事により新たな表層が露わになり、すずさんという一人の女性の心の移ろいがさらに深化して描かれる事になり違う表情をのぞかせました。それは他のキャラクターにも波及し、それぞれのキャラクターまでも深みを持つことになった事に、原作でも重要なリンとすずのエピソードを入れた完全版、長尺版ではない新たなる作品とすることを目指した監督にまずは感謝したいと思います。普通に尺を足しただけのものではない、そのエピソードを加える事によって新しい物語が立ち上がってくる瞬間を目撃できたのは非常に素晴らしい体験でした。人々の営みと想い、生と死、生きる事とは?根源的な意味合いさえも替わりかねない、あの時代を前作を観ていなくてもこの作品からでもいいし、前作を観たならなおの事この作品を是非観て欲しいと思います。そして原作にも触れて欲しい、そう思います。今年の締めくくりにこの映画を観れたのは本当に幸運でした。

※前作も見直すとこれまた滋味深くなるかと思います。

『この世界の片隅に』/AmazonPrimeビデオ

※AmazonPrimeビデオで『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』配信中です。

ファイブスター物語/F.S.S第17巻絶賛発売中

ファイブスター物語/F.S.S第17巻絶賛発売中
永野護著/KADOKAWA刊月刊ニュータイプ連載『ファイブスター物語/F.S.S』第17巻絶賛発売中(リンクはAmazon)

このブログを検索

アーカイブ

QooQ