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ネトフリ『ハウス・オブ・ダイナマイト』— 絶望の19分間が私たちに「思考」を強いる理由

2025年11月22日土曜日

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 Netflixで配信されている『ハートロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』のキャスリン・ビグロー監督の最新作『ハウス・オブ・ダイナマイト』観ました。前作『デトロイト』から実に久しぶりの一本となった訳ですが、スクリーンから叩きつけられる熱量と重圧は、まさに「骨太」という言葉がふさわしい1本になっておりました。

『ハウス・オブ・ダイナマイト』ティーザー予告編 - Netflix/YouTube


 本作は、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射が検知されてから着弾するまでのわずか19分間を、ホワイトハウス、戦略軍司令部など、複数の視点から克明に描き出すポリティカル・スリラーになっています。

 核戦争の恐怖を描いた作品として、多くの人がスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を連想するかもしれませんが、本作に通底するのはあのブラックユーモアに満ちた風刺劇ではない。むしろ、シドニー・ルメット監督の『未知への飛行』が持つ、冷徹なまでのリアリズムと息苦しいほどの緊迫感に満ちています。

 『博士の異常な愛情』が人の中に潜む「狂気」の暴走をおかしく描いたのに対し、『ハウス・オブ・ダイナマイト』は、システム化された「正気」が、いかに連鎖的に破滅へと突き進むかを描き切って、その現実がフィクションの想像力を超えて日々悪化している今、この作品が突きつけるラストは、観客の心にずしりと重い鉛を残していきます。

ネトフリの『ハウス・オブ・ダイナマイト』観た。『博士の異常な愛情』よりは確かに『未知への飛行』だが現実がどんどん酷いことになっている分ラストを含めて重いものが残る。いやキャスリン・ビグロー、久しぶりの一本はまた骨太だった。役者も大統領にイギリス人のイドリス・エルバ、ホワイトハウスの危機管理室に詰めている大佐にこれまたイギリス人のレベッカ・ファーガソンを配してるあたり、わざとか?って思ったが、それ以外の戦略軍の司令官がまさにザ・軍人って感じで配役がうますぎるなと思った。 ハウス・オブ・ダイナマイト | Netflix www.netflix.com/jp/title/817...

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— tonbori堂 (@tonborido.bsky.social) 2025年10月26日 22:06

巧みなキャスティングが浮き彫りにする「中心の歪み」

 キャスリン・ビグロー監督の作品は、そのリアリスティックな演出と共に、キャスティングの妙でも知られる。本作も例外ではありません。まず観客を驚かせるのは、アメリカ合衆国大統領という重責を、イギリス人俳優であるイドリス・エルバが演じていることです。さらに、ホワイトハウスの危機管理室(シチュエーション・ルーム)で大統領を補佐し、軍部との調整に奔走する大佐役には、これまたイギリス(スウェーデン生まれだが、主に英国で活躍)のレベッカ・ファーガソンが配されています。

「なぜ、あえてアメリカ政治の中枢にイギリス人俳優を?」

鑑賞中、この「わざとか?」という疑念が湧きます。

 これは、彼らの卓越した演技力を買っていることはもちろん、意図的な「違和感」の演出かもしれません。国家の存亡を左右する極限状態において、国籍や人種といった属性は意味をなさなくなるという普遍性を示すと同時に、どこか「当事者」になりきれない、一歩引いたような冷徹なプロフェッショナリズムを際立たせます。もっともイドリスは悩める大統領としてつい周りの者に当たったり奥さんに助言を求めたりなところも演技巧者だなと思います。

 一方で、彼らと対峙する戦略軍の司令官の配役が、これまた見事です。まさに「ザ・軍人」といった風貌の俳優が、マニュアルとプロトコルに忠実であろうとする軍組織の強固さと、同時にその融通の利かなさを体現しています。ちなみに演じたトレイシー・レッツは『フォードVSフェラーリ』でフォードJrを演じていました。やっぱりハリウッド、層が厚いです。

 イドリス・エルバ演じる大統領が、人間的な苦悩や理性を最後まで手放さないのに対し、軍人はシステムの歯車としての役割を全うしようとする。この対比が、政治と軍事の間に横たわる絶望的な断絶を浮き彫りにしていたあたり、配役がうますぎる、と唸らされたポイントです。


繰り返される「19分間」— 変則3幕構成の妙

 本作の最も特徴的な点は、その語り口にあります。映画は、ICBMの飛来を探知してから着弾するまでの「19分間」を、視点を変えながらリフレインする変則的な3幕構成をとっています。

1.傾斜が水平に

 大統領と側近たちが集うホワイトハウスの危機管理室に務めるオリヴィアが早朝に出勤するところから始まり、アラスカの要撃レーダーサイトの要員たちと交互にシーン進み、誤報の可能性、報復の選択肢、そして迫りくるタイムリミット。それぞれの立場と決断の重圧が観ているこちらにのしかかってきます。このサブタイトル「傾斜が水平に」というのはICBMが軌道にのり米本土攻撃体制に移ったことを意味します。

2. 弾丸で弾丸を撃つ

 第2幕は、戦略軍司令部。レーダーを睨み、迎撃システムと報復攻撃の準備を進める軍人たちや国防長官(今はトランプが戦争長官っていう名称にしていますが)の視点がメインとなります。ここでは、より機械的・技術的な側面から、政治や判断する人たちの対応とそれにより明らかになっていく回避不可能な破滅へのカウントダウンが描かれていきます。中でも入院中の国家安全保障担当補佐官に代わり若い副補佐官が国防長官にGBI(弾道ミサイル迎撃システム)の命中率を説明するこのサブタイトル「弾丸で弾丸を撃つ」という台詞は現実では実験が成功と言われていても実戦では不確実なものであるというのがクローズアップされます。

3. 爆薬が詰まった家

 そして第3幕(あるいはさらなる視点)では、それまでの19分間で欠けていたピースが埋められ、事態の全貌が重層的に明らかになっていきます。それまで緊急事態で予定されていた行事のため外に出ていた大統領が専用車からの通話のためビデオ会議ではブラックアウトした画面だったその時の行動が明らかになっていきます。その時に大統領が吐露するのが「我々は爆薬が詰まった家にいる」という話です。冷戦の頃はダモクレスの剣とも言われていましたが今は落ちてくる剣というよりそれぞれが何時爆発、破裂するかもしれない爆弾の家にいるという皮肉。

 なぜ、このような回りくどい反復構造が必要だったのか?

 かつて、2001年の9.11(アメリカ同時多発テロ)も、わずか数時間のうちに世界を一変させたました。しかし、もしその脅威が「核」であったなら? 19分という、何かをするには短すぎ、絶望するには長すぎる時間の中で、人間は何を思い、どう行動する(あるいは、行動できない)のか?この重層的な問いを描き出すには、単純な時系列のドラマでは不十分だったというのが分かります。

 視点を変えて同じ時間を繰り返すことで、観客は「あの時、あちら側ではこんなことが起きていたのか」という新たな絶望を発見し続けることになる事こそが監督の狙いではないのかという事です。それは、あと少しで核が炸裂して世界が滅亡するのを寸前で回避するインポッシブルなスカッとする映画体験とは対極にある、非常に「意地の悪い」作りといえるでしょう。これは核戦争の不条理と多面的な恐怖を描く上で、これ以上ないほど効果的な手法だったのではないでしょうか。


賛否を呼ぶ結末と「火薬の家」というタイトルの意味

 鑑賞後、SNSなどで感想を検索すると、本作の結末に対して「納得がいかない」「救いがない」とご立腹な人を幾人か見かけました。海外でのレビューサイトなどでは高評価が並んでいる中、日本では低めの評価が多いようにも思います。



 確かに、本作のラストは容赦がありません。ハリウッド映画的なカタルシスや、土壇場での奇跡を期待する観客は、文字通り叩きのめされることになるでしょうし、なりよりなんらかのはっきりした結末を求める層には全くと言って届かないかもしれません。

しかし、tonbori堂はこう思うのです。この映画において、これ以外の結末があり得ただろうか?と。

 もし、この物語が何らかの「救い」や「希望」を描いて終わっていたとしたら、それはすべて嘘くさく、ご都合主義的なファンタジーに堕していたと思うし、『ゼロ・ダーク・サーティ』でヒロインが最後に号泣でもなくたださめざめと泣くシーンで終わらせたビグロー監督は、安易な希望を描くことを断固として拒否して当然だと思うのです。だからこそ、この映画の原題(と私が推測する)『ハウス・オブ・ダイナマイト』(House of Dynamite)=「火薬の詰められた家」というタイトルが重く響いてきます。

 私たちは皆、いつ爆発してもおかしくない核兵器という「火薬」が満載された家に住んでいる。それなのに、その事実から目をそらし、あるいは忘れ去り、「まさか火はつかないだろう」と高を括っている。この映画は、その家の壁に、冷徹な手つきで火を灯してみせるのです。

「ほら、これが現実だ。君たちは、こういう世界に住んでいるんだぞ」と。


「相続力」と「思考力」を失った先に待つもの

 この映画が突きつけるのは、単なる核の恐怖だけではありません。それは、私たち現代人が失いつつある、二つの「力」の欠如です。

 一つは、過去の教訓を未来に活かす「相続力」。

 冷戦時代にあれほど恐れられた核の均衡と、それがもたらす破滅のリアリティ。それを、私たちはどれだけ真剣に次の世代に「相続」させてきただろうか。本作で描かれるのは、その教訓を忘れ、システムに依存しきった世代の末路だ。

 もう一つは、極限状態でものを考える「思考力」。

 プロトコルに縛られ、感情論に走り、あるいは思考停止に陥る登場人物たち(もちろん、一部の例外を除いて)。「こうなったら、こうする」というマニュアルの外に出た瞬間、彼らは無力だ。

 かつて、あるバスケットボール漫画で「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という有名なセリフがあった。だが、この映画が示す現実はもっと厳しい。「相続力」と「思考力」が無くなったら、その時点でもう「試合は終了」しているのだと。


『シビル・ウォー』と共に観るべき、現代への警鐘

 去年公開され、同じくアメリカの「今」を鋭く切り取ったA24の『シビル・ウォー』(アレックス・ガーランド監督)も良作だったのですが、あちらが今のきな臭い分断を敢えて「内戦」という形でゆっくりと崩壊していくプロセスを描いたとすれば、本作『ハウス・オブ・ダイナマイト』は、「核戦争」という形で瞬時に世界が終わりうる可能性を描いた作品だと言えるでしょう。

 どちらも、現代のアメリカが抱える(あるいは世界が抱える)危うい立ち位置を、フィクションという鏡を通して強烈に映し出していると思います。この2本を立て続けに観て、海の向こうの米国の今を考えるのも良いかもしれません。あるいは、それを「明日の我が国」の姿として引き受けてみるのも、また一つの見識ではないでしょうか。

 どちらにせよ、本作は決して「スカッとする」タイプのエンターテイメントではありません。観終えた後、深く、重く「考える事が必要になる」作品です。

 そして、恐ろしいことに、私たちが今生きているこの「現実」は、この映画が描いたフィクション以上に、悪くなっているのかもしれないのです。

※キャスリン・ビグロー監督作品で今作見る前におすすめなのはこれです。>

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