ジェームズ・ガン監督が手掛ける新たな『スーパーマン』は、公開前から大きな期待を集めていましたが、その内容はこれまでのスーパーマンとはまた違った、ひと味違うジェームズ・ガンらしさに溢れるマン・オブ・スティール鋼鉄の男像となっていました。これは単なるスーパーヒーロー映画の枠を超え、犬好きにはたまらない要素が満載でありながら、同時に真っ当なヒーロー像を深く掘り下げた、まさに「必然」とも言える作品だったのです。以下簡単なあらすじの後にいつも通り感想を書いてみたいと思います。
※(今回のエントリはBlueskyでのポストを元にGoogleのchat-AI、Geminiで文章を生成し、さらにtonbori堂で補足修正したものです。)
ジェームズ・ガンの『スーパーマン』、スーパードッグのクリプト大暴れ(活躍出ないのが肝)なある意味犬好き必見映画なのだけれど、それ以上に真っ当すぎるスーパーヒーロー映画で今までルーザーズな作品が多かったジェームズ・ガンがこれを撮ったのはまさに必然な気がする。メッセージもストレートだし響く映画になってた。それでいてジェームズ・ガンらしさも全く失われていない。ディズニーは本当にあの時にガン監督を守ってればとファイギ思ってるかも。だが彼らの友情はあるようだしこの、成功も喜んでるはず。
— tonbori堂 (@tonborido.bsky.social) 2025年7月15日 14:23
空を見ろ!|STORY
地球にはメタヒューマンと呼ばれる超人がいた。彼らは約300年前より人類に認知されはじめ、その力を使い悪事をなすものもいれば、力を人々のために使う者、人類の守護者となったものをいた。メタヒューマンは異能力を持った人間もいれば、宇宙人もいた。クリプトン星から両親によって脱出したカル・エルことクラーク・ケントはケント夫妻によって育てられ、成長し自らの出自を知り、その力をこの星のために役立てるため普段はデイリープラネッツという新聞社で働き事件が起こるとスーパーマンとして人々を助けていた。
3か月前にボラビアが隣国シャルハンブルへ侵攻したのを止めたのだが、それに対しボラビアのハンマーというメタヒューマンが米国に現れ干渉することを許さないとデイリー・プラネッツのあるメトロポリスを破壊する。それに対抗したスーパーマンだったがハンマーは強力な李超人でスーパーマンは南極に吹き飛ばさてしまう。南極にはスーパーマンの孤独の要塞で傷を癒し再戦を挑むがこれは、大企業ルーサーコープのレックス・ルーサーの罠だった。彼は強大な力とカリスマ性を持つスーパーマンを一方的に危険視し彼を排除するために彼の本拠地をあぶりだすためにハンマー、いや彼の手下であるウルトラマンとナノマシンを体内に持つサイボーグ、エンジニアを使ってこの狂言を演出したのだった。
孤独の要塞でスーパーマンの真実を知ったルーサーはSNSや彼の両親のメッセージを復元しスーパーマンの知らなかった真実を使って彼を追いつめていく。果たしてスーパーマンはこの陰謀を打破してルーサーを倒すことが出来るのだろうか?
スーパードッグ、クリプトの存在感
この映画を語る上で欠かせないのが、スーパーマンの今作での相棒?とも言えるスーパードッグ、クリプトの存在です。彼の「大暴れ」とも言える活躍(一般的な意味でのヒーロー的な活躍とは少し異なる、その愛らしい行動が肝心なのですが)は、犬を愛する人々にとってはまさに必見の要素と言えるでしょう。クリプトがスクリーンに登場するたびに、その純粋さや予測不能な動きが観客の心を掴み、シリアスな展開の中にも温かいユーモアと癒やしをもたらします。彼は単なるマスコットではなく、スーパーマンの人間性(あるいはクリプトン星人性?)を際立たせる重要な役割を担っており、その存在が映画全体に独特の魅力を加えています。しかし預かっているだけとクラークが言っていたけど本当の飼い主があの人とは…これは劇場で確かめてください。(既にバレも多く出回っていますが)ということでクリプトもまだまだ活躍しそうです。
ジェームズ・ガン監督と「真っ当な」スーパーヒーロー
ジェームズ・ガン監督といえば、これまで『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ザ・スーサイド・スクワッド』など、どこか「ルーザーズ」と呼ばれるような、社会の片隅で迷い、傷つきながらも奮闘するキャラクターたちを描いてきたことで知られています。しかし、そんな彼が、正義と希望の象徴であるスーパーマンを撮ったことは、決して意外なことではありませんでした。むしろ、彼が長年描いてきた「不完全な人間が、それでも『良き人』であろうと努力する姿」というテーマの究極の到達点として、スーパーマンというキャラクターが完璧にフィットしたのです。
この『スーパーマン』は、ひねくれた視点や皮肉を交えることなく、驚くほどストレートに「スーパーヒーローとは何か」という問いに向き合っています。そのメッセージは明快で、観客の心に深く響く力を持っていました。現代社会が抱える複雑な問題や閉塞感の中で、スーパーマンが体現する揺るぎない希望と善意は、私たちが必要としている光そのもののように感じられます。それでいて、ガン監督らしい独特のユーモアや人間味あふれる描写、そして心に訴えかける選曲といった彼ならではのスタイルは全く失われておらず、むしろスーパーマンの世界観に新たな深みと親しみやすさを与えています。
ディズニーとファイギの感慨、そして友情
ガン監督が一時的にディズニーを離れた経緯を考えると、マーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長が、このDCでの成功を複雑な思いで見ているのではないかと想像する人もいるかもしれません。しかし、両者の間には深い友情があると言われており、実際メディアの取材に対してもファイギが『スーパーマン』をほめているインタビューがあります。クリエイターとしての才能が、ジャンルやスタジオの垣根を越えて花開くことは、映画界全体にとってもいいことであるしスーパーヒーロー映画に関しては未だに子供向けだの映画ではないだのと言われていますが相乗効果でマーベルにも可能性が大きく広がったと思います。
それよりは経営側のディズニー側の拙速な行動でジェームズ・ガンを解雇してしまった事に問題を感じますね。今回の作品を観ると混迷を深めたMCUのかじ取りを任せられる人材であったことは疑いようがないのにとディズニーのアイガーCEOや当時のホルン会長の判断はどうだったのかなと思います。逃がした魚は大きすぎると。
現代にフィットしたレックス・ルーサー像
本作におけるレックス・ルーサーの描写も特筆すべき点です。リチャード・ドナー監督版『スーパーマン』でジーン・ハックマンが演じた頃の、悪知恵の働くフィクサー然としたルーサーとは大きく様変わりし、今回のルーサーはまさに「頭でっかちなテックビリオネア」として描かれています。これは、現代社会において影響力を持つ存在が、その知性と富をどのように悪用しうるかという、まさに「今の時代」にぴったりのテーマを反映しています。
かつてザック・スナイダー監督のDCEUで描かれたルーサーも、似たような現代的な造形をしていましたが、ガン監督の描くルーサーは、単なる狂気や悪意だけでなく、ある種の純粋な傲慢さや、自分こそが世界を導くべきだと信じる歪んだ信念がより明確に表現されています。ニコラス・ホルトが演じたルーサーは、その冷徹な知性と内なる狂気を完璧に体現しており、彼の最高の演技の一つと言えるでしょう。彼の存在が、スーパーマンが対峙する現代的な脅威をよりリアルなものにしています。
『スーパー!』から『スーパーマン』へ:必然の道筋
振り返れば、ジェームズ・ガン監督が、スーパーヒーローに憧れる一人の男が自警団(ヴィジランテ)となる姿を描いた映画『スーパー!』を撮った時から、彼がいつか『スーパーマン』を撮ることは、ある意味で「必然」だったのかもしれません。彼は常に、迷い、傷つき、葛藤しながらも、それでも「良き人」であろうと努力する人間、あるいは人間性を持つ存在を描き続けてきました。
『スーパー!』の主人公フランクが、自分なりの正義を貫こうともがく姿は、形は違えど、スーパーマンが背負う「人類の希望」という重責と通じるものがあります。ガン監督は、完璧ではないキャラクターたちの内面を深く掘り下げ、彼らが直面する困難や葛藤を通して、真の強さや優しさとは何かを問いかけてきました。その集大成として、最も純粋で、最も象徴的なヒーローであるスーパーマンを描くことは、彼のキャリアとテーマ性において、まさに運命的な出会いだったと言えるでしょう。
この『スーパーマン』は、単なるアメコミ映画の枠を超え、現代社会に生きる私たちに、希望と善意の重要性を改めて問いかける、力強く、そして温かい作品として記憶されることでしょう。ジェームズ・ガン監督の新たな代表作の誕生とtonbori堂は感じました。
※tonbori堂が最初に観たアメコミヒーロー映画はドナー監督の『スーパーマン』でした。ディレクターズカット版が出ているそうです。
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