ついに、この日がやってきました。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が満を持して送り出す、新生『ファンタスティック4』。期待と少しの不安を胸に劇場へ足を運びましたが、鑑賞後の今、その興奮を抑えきれません。結論から言います。本作は、過去作への最大限のリスペクトを払いながら、全く新しい魅力に満ち溢れた、最高の「始まり」の物語でした。特に、60年代の夢とロマンを現代に蘇らせたかのような「レトロフューチャー」の世界観は圧巻の一言です。物語の細部にはいくつかの課題も感じられましたが、それすらも今後の展開への期待に変えてしまう何かが、この映画にはありました。
今回は、本作をなぜtonbori堂が推しているのか?あらすじの後にその魅力をいくつかの側面から深く掘り下げていきたいと思います。
※(今回のエントリはBlueskyでのポストを元にGoogleのchat-AI、Geminiで文章を生成し、さらにtonbori堂で補足修正したものです。)
ファンタスティック・フォー観てきた。面白かった!ギャラクタスって最初に観たF4の映画だとあのガスのほよほよってしたやつだったけど今回はコミックスに倣った巨人。色々設定はあるそうだけど今回はとにかく飢えてる巨人という一点突破でナイスだしシルバーサーファーも良かった。ギャラクタスのヘラルド(探索者で先触れ)として背負ってるものが大きいんだけど、前のF4だと(ジェシカ・アルバがスーのやつ)モーフィアスの中の人なんだよね。それはそれで好きなんだけど、今回のサーファーもルーツなど持って行き方良かった。宇宙語をジョニーが解読するというのも面白かったし総じて別アースにしていたのが良かったのでは。
— tonbori堂 (@tonborido.bsky.social) 2025年7月25日 23:34
STORY/最高の4人
天才科学者リード・リチャーズ、リードの妻、スー・ストーム、スーの弟ジョニー・ストーム、宇宙飛行士ベン・グリムの4人は深宇宙の探査中に宇宙嵐による宇宙放射線の影響でDNAが変化してそれぞれ身体が変化してしまった。だがその能力を人々のために役立て活動している。そんな彼らを人々はこう呼んだ『ファンタスティック4』と。
彼らが活動を始めて3年の月日がたち、数多くの事件を解決し、人類の危機を救ってきた。そしてスーは妊娠しファンタスティック4の面々はそれぞれ充実していた。そんな中、宇宙から突如、銀色の女性の姿をした異星人が来訪し、惑星を食べる存在ギャラクタスが地球に来ると告げ地球の最後の日が近いと宣告する。リードたちは彼らの宇宙船エクセシオール号でギャラクタスを止めるべく旅立つのだが、それは想像もしない困難の始まりだった。果たしてリードたちはギャラクタスを退けることが出来るのだろうか?
■ 脅威の再定義 - 巨神ギャラクタスと苦悩の使者シルバーサーファー
『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』の物語を語る上で避けては通れないのが、宇宙の脅威「ギャラクタス」の存在です。2007年公開の『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』で彼が描かれた際、その姿は原作コミックの巨人ではなく、巨大な「ガス状の雲」でした。当時、この解釈はファンの間で大きな賛否を巻き起こしました。もちろん、あの表現にも映画的な意図はあったでしょうが、惑星を喰らうという途方もないスケールの脅威としては、どこか実態が掴めず、物足りなさを感じたファンも少なくなかったはずです。
しかし、本作のギャラクタスは違いました。スクリーンにその姿を現したのは、我々がコミックで見てきた、あの圧倒的な存在感を放つ「巨人」そのものだったのです。天を衝くほどの巨躯、荘厳かつ無機質なヘルメット、そして何よりも、ただそこに存在するだけで惑星の終わりを予感させる絶望的なまでの威圧感。このビジュアルだけでも、本作の制作陣が原作ファンに届けたかったものが何であるかは明白でした。
さらに秀逸だったのは、そのキャラクター設定です。ギャラクタスにはコミック上で非常に複雑な背景や設定が存在しますが、本作はそれを大胆に削ぎ落とし(この宇宙の誕生以前の存在とは明言されていますが)、「ただひたすらに飢えている、宇宙の捕食者」という一点に絞り込んでいました。このシンプルさが、かえって彼の恐怖を際立たせていたように思います。動機や感情が読めないからこそ、対話の余地がない純粋な「天災」として、F4の前に立ちはだかります。この一点突破の描き方は、見事な判断だったと言えるでしょう。
そして、その偉大なる主人の「先触れ(ヘラルド)」として登場するのが、シルバーサーファーです。前作でモーフィアス役のローレンス・フィッシュバーンが声を当てたサーファーも、その重厚な存在感は非常に魅力的でした。ですが、今作のサーファーは、より深く、より悲劇的な内面を抱えたキャラクターとして描かれていました。
彼女は、ギャラクタスに故郷の星を救われる代償として、他の惑星を捧げ続けるという宿命を背負っています。その銀色に輝く美しい姿とは裏腹に、彼の魂は計り知れない罪の意識と葛藤に苛まれているのです。本作では、その彼女のルーツや苦悩が丁寧に描写されており、単なる敵役ではない、一人の苦悩する存在としての深みが与えられていました。特に、ヒューマン・トーチことジョニー・ストームが、当初は理解不能だった彼の「宇宙語」を解読しようと試みるシークエンスは印象的でした。力と力でぶつかるだけではない、相手を理解しようとするその姿勢こそが、ファンタスティック・フォーというチームの本質を示しており、サーファーの心を動かすきっかけにもなりました。このキャラクターの持って行き方は、旧作へのリスペクトを感じさせつつも、新たな解釈を加えた素晴らしいものだったと言えます。
■ 完璧な世界観 - レトロフューチャーという名の招待状
本作の成功を支える最大の要因は、間違いなくその唯一無二の世界観でしょう。物語の舞台は、我々が知るMCU(アース616)とは異なるパラレルワールド。この「アース828」という設定が、本作に驚くほどの自由と独創性をもたらしました。
ちなみに、この「アース828」という数字にも、制作陣の深いリスペクトが込められています。映画の最後に明かされるように、これはファンタスティック・フォーの共同クリエイターであり、コミック界の王様(キング)と称されるジャック・カービーの誕生日(8月28日)に由来しているのです。彼のコメントと共にこの事実が示された瞬間、劇場全体が温かい感動に包まれたに違いありません。単なるパラレルワールドの番号ではなく、創造主への敬意が込められたこの数字に、本作の魂が宿っているように感じられました。
まず、導入が非常に巧みです。本作は、リード、スー、ジョニー、ベンの4人が宇宙放射線を浴びて能力を得るという「オリジンストーリー」を大胆にカットしています。物語は、彼らが能力者となってから4年が経ち、すでに世間的な有名人になっている時点から始まるのです。そして、その背景は、レトロな雰囲気漂うテレビショーの中で、司会者が彼らの活躍を紹介するという形で観客に提示されます。この手法により、我々は退屈な説明を受けることなく、一瞬でこの世界のルールを理解し、物語に没入することができます。ヒーローの誕生譚が溢れる現代において、このテンポの良さは大きな発明と言えるでしょう。
そして、その世界を彩るのが「レトロフューチャー」のデザインです。これは、1960年代の人々が夢見た「未来の姿」を、現代の映像技術で再構築した世界。曲線的で温かみのあるデザインの飛行物体、アナログなスイッチが並ぶ計器類、そしてどこか懐かしさを感じさせる街並み。そのすべてが、驚くほどスタイリッシュで、それでいて心地よいのです。
この世界観の象徴とも言えるのが、チームをサポートする万能ロボット「ハービー」の存在です。球体を組み合わせたような愛らしいフォルムで、コミカルな動きを見せながらも、その性能は超一流。彼がいるだけで、張り詰めた状況が和み、チームに「家族」としての温かい空気が生まれます。劇中の彼らのやり取りを見ていると、「本当に一家に一台欲しい」と思わずにはいられません。ハービーは、本作の愛すべきマスコットであり、この世界観を体現する重要なピースでした。
宇宙船「エクセシオール号」のデザインもまた、このレトロフューチャーの美学を完璧に表現していました。60年代のSF映画から飛び出してきたかのようなクラシックな見た目でありながら、その内部には超光速航法を可能にする「FTL(Faster-Than-Light)機関」という超技術が搭載されています。古き良きSFへのロマンと、現代的な説得力。この絶妙なバランス感覚が、本作の世界観に確かな深みを与えていたと言えるでしょう。ファンタスティック・フォーという、コミックのシルバーエイジを代表するヒーローチームを描く上で、これ以上ないほど最適な舞台設定だったと言えます。
■ 光と影 - 物語の課題と『ドゥームズデイ』への展望
ここまで本作の素晴らしい点を挙げてきましたが、手放しで絶賛するだけでなく、いくつかの課題点についても触れておきたいと思います。それは、ストーリーテリングに関する部分です。
本作は、前述の通りオリジンを省略し、非常にテンポ良く物語が進行します。しかし、その「テンポの良さ」は、諸刃の剣でもありました。スピーディーに進むがゆえに、一つ一つの出来事やキャラクターの感情の機微に対する「引っ掛かり」が少なく、全体的に少しあっさりとした印象を受けたのも事実です。役者陣の演技は誰もが素晴らしく、キャラクターの魅力を最大限に引き出していました。リード・リチャーズの科学者としての探求心と苦悩、スー・ストームのチームをまとめる母性的な強さ、ジョニー・ストームの若さゆえの軽快さと情熱、そしてザ・シングことベン・グリムの岩の体となってしまった悲哀。それぞれのキャラクターの核となる部分は確かに描かれています。
ですが、彼らの内面にもっと深く踏み込む時間があれば、物語はさらに重層的になったのではないか、とも感じてしまいます。例えば、リードとスーの関係性の進展、ジョニーとベンの親友としての絆、そしてチームが「家族」として結束していく過程。これらの描写にもう少し厚みがあれば、クライマックスのカタルシスはより大きなものになったでしょう。素晴らしい役者たちが演じているからこそ、そのポテンシャルを最大限に活かす脚本の「描き込み」が、もう少しだけ欲しかったというのが正直な感想です。
この「引っ掛かりの少なさ」は、今後のMCU全体、特に噂されるクロスオーバー大作『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』への一抹の不安も感じさせます。数多の強力なキャラクターたちが集結する中で、本作で描かれたF4が埋没してしまわないでしょうか。彼らがMCUという巨大なユニバースの中で、確固たる存在感を示すことができるのでしょうか。
またギャラクタスを原作通りに巨人としたものの初めての邂逅シーンでは巨大な身体も地球に降り立つと若干のサイズ感の縮小加減がありました(それはファンタスティック・フォーを同一フレームにいれるためのリサイズとは思いますが)そういうこれまでのMCUでのCGへの不安問題もありました。
しかし、そうした不安を抱きつつも、未来に大きな希望を抱いています。なぜなら、本作はリード、スー、ジョニー、ベンという4人のキャラクターの「キャラ立ち」には、見事に成功しているからです。彼らの個性は鮮烈で、一度見たら忘れられない魅力に満ちています。本作で蒔かれた「家族の物語」の種は、今後の作品で必ずや大きく花開くはずです。この映画は、完璧な傑作ではないかもしれません。ですが、MCUに全く新しい風を吹き込み、未来への無限の可能性を感じさせてくれる、極めて重要な一作であることは間違いありません。
■ 未来への確かな希望
MCU版『ファンタスティック4』は、ヒーロー映画であると同時に、一つの「家族」の物語の始まりを告げる、温かく、そしてエキサイティングな招待状でした。レトロフューチャーという最高の舞台装置の上で、魅力的なキャラクターたちが躍動する姿は、我々が長年待ち望んでいたものそのものです。いくつかの課題はあれど、それすらも愛おしく思えるほど、このチームの未来が楽しみで仕方がありません。さあ、ここから始まるマーベルのファースト・ファミリーの冒険の今後に期待したいと思います。
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