百家争鳴『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』|考察【ネタバレ注意】-Web-tonbori堂アネックス

百家争鳴『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』|考察【ネタバレ注意】

2017年12月28日木曜日

movie SF

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 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』、感想が割れていますね。先に書いた感想ではtonbori堂は瑕疵もあるけど志は買う。ただ面白いか面白く無いかで言えば微妙というものでした。多々面白いシーンはたくさんありったし決してつまらない作品ではないです。で、鑑賞後の感想をブログにアップした後に、いろいろ評論やら感想やらを読みました。それで思ったのは賛成派と否定派にも一理ある論もあるなってことです。前回のエントリでとりあげたように「正史(カノン)と認めるな!」はさすがに行き過ぎですが、演出上の問題とかは確かにと気になる部分が多くありました。

動画はyoutubeより|STAR WARS公式チャンネル|Star Wars: The Last Jedi Official Teaser|

 前回も最後にこの賛否両論について書いてみましたが再度ネットでいろいろ取り上げられている言説などをtonbori堂なりに考えてみようかなと思います。なにせ『スター・ウォーズ』ですから。やっぱり子供の時に観た衝撃は今も息づいているし、エピソード4を観るとなんだかんだでぐっと来るわけです。もっとも『スター・ウォーズ』に思い入れが深いといっても映画作品しか観ていません。小説、(外伝スピンオフのレジェンズの作品群)やアニメの「クローンウォーズ」(いくつかは観ています)、「反乱者たち」(こちらも数話のみも殆ど観ていないのですが。)基本的に新旧3部作から今回の3部作の2作目という位置づけの『最後のジェダイ』の賛否両論とこの現象についても考えてみたいと思います。

『最後のジェダイ』の長所と短所

 今回の映画、短所が目に付くところもあるけれど長所にも少し目を向けてみたいかと思います。

神話からの脱却

 これは映画評論家の町山智浩さんをはじめとする多くの人が指摘している事で、ハン・ソロがジェダイはいた、本当の事だと言っていますけど映画の中でも外でもジェダイ・オーダーは伝説と化しています。曰く光の導き手、ライトサイドの守護者。そんな彼らは結局、ダークサイドのシスの策略にからめとられあっけなく壊滅してしまったことで皮肉にも伝説化してしまったんですが、今回の3部作は新3部作ではなく旧3部作が新によってさらに強化されてしまった神話の壁を壊そうとしたということです。


 だから極力、ルークはかつてのヨーダのように韜晦したり思慮深く示唆に富んだ言葉をレイにかけるのではなく、偏屈で頑固なオヤジのように、また頑なに教えを乞うレイをはねのけます。そして彼はベン・ソロがカイロ・レンになった経緯について小さな、だけど大きな嘘をつきます。ジェダイ・マスターとして清廉潔白、ライトサイドの導き手にあるまじき行為。ここが引っかかる人も多いようだけど、そもそも論で言えば常にダークサイドとライトサイドで揺れ動いていたのがルーク・スカイウォーカーという人物です。

動画はyoutubeより|STAR WARS公式チャンネル|Star Wars: The Last Jedi "Back" (:15)

 『スター・ウォーズ』でも最高作として評判の高い『帝国の逆襲』でも、彼はジャコバでのヨーダとの修業でその揺れ動く心のありようと、修行半ばで苦難にあった友を助けに行く無鉄砲さがありました。だから今回の事もまったく根拠のない話ではないとtonbori堂は思っているのですが。そんな普通の人としてのルークがジェダイの神話というものは無いといった後にヨーダが現れ過去の自分と同じく危なっかしいレイがクレイトへフィンたちを救いに行ったあと古き書物を焼き払おうとして結局出来ない彼の背を押します。旧きものを捨て去り、師としてその背を見せて次世代に火をつなげていく。神話への脱却と書いたけれどスクラップ&ビルドとしてレイに新しいストーリーの語り手を継いでいく継承なのではないでしょうか。


 古きジェダイではなく、まったく新たな登場人物によるストーリーを紡ぐためにジョンソンはスター・ウォーズらしさをツイストさせたと言ってもいいでしょう。そこには明確な新世紀のスター・ウォーズを作るという意思が垣間見えます。またそれは今後の礎になるからこそあまたの評論家さんや、そこに新しさを感じ取った観客がこれは素晴らしいと語っているのだと思います。

ためにする行動がストーリーを分断する

 これはライムスター宇多丸さんが毎週土曜に放送しているTBSラジオ『ウィークエンドシャッフル』の映画時評コーナー「ムービーウォッチメン」で『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を酷評した時におっしゃっていた部分ですが、ためにする行動が凄く目についたってところですよね。最初のレジスタンスの脱出シーンでも爆撃隊のエピソードは爆撃機の銃手で後にフィンとカント・バイトに行くことになるローズの姉が機体が爆発しそうな中、苦闘するシーン。凄く手に汗握るよいシーンなんですが…そのために爆撃機のスペックが異常に低く設定されているわけです。当然レジスタンスは後ろ盾である共和国がスター・キラーの攻撃で崩壊し苦しい台所事情なのは分かります。にしても、鈍重な爆撃機というのは制空権をもっていないと使えない兵器なのです。実は反乱同盟軍時代にもそういった鈍重な爆撃機というのはあまり使われていません。Xウィングよりも足の遅い重攻撃機BファイターやYウィングファイターなどの雷撃機もありましたが、いくらなんでもあれは遅すぎる。それは物語を盛り上げるためだと分かっています。だけどいかにも特攻みたいで、しかも特攻を否定する部分が後で出てくるんですよね…だからもやもや感が増してしまうのです。


 ローラ・ダーンが演じるホルド提督のクルーザーによる特攻シーンもメガ・デストロイヤーをへし折る乾坤一擲になってて絵的には凄いんですが回頭とか遅すぎて気が付いたら輸送艇がほとんど撃墜されてレジスタンスが20名程度とか、そういうシーンが多すぎました。フィンとローズのカント・バイト行きも同様で、ここは映画は良かったという人も割と不評なシークエンスのようです。フィンとレジスタンスの描写をするために必要なシーンにも関わらず、DJが関わったり、実はクレイトに降下してファーストオーダーをやり過ごすなどが上手くつながらないため、結果的に無茶苦茶無駄足に見えてしまうのです。これは実にもったいない。彼らの行動が無駄足でも結果的に何かを成せれば観客が納得できるのにいや実際この行動は無駄だったんですというのを律義に守った事はジョンソンは律義な人なんだろうなとは思いますが。とくにDJなんですけど、あのエピソード単体で観ると凄く教訓めいていて、しかもDJを演じたベニチオ・デル・トロがいい演技をするもんだから、ですよねーってなるんですが、後で、えっ?だから?なに?ってなるんですよ。


 教訓が一周回って煩いよってなるあの感じ。これも宇多丸さんが言ってましたけどコードブレイカーとDJを一緒にすること出来なかったんですかね。その方が必然性があったとおっしゃってたけど。激しく同意します。というかDJがコードブレイカーだとカント・バイトに行って「見つかった!」っていうまでそう思っていました(真顔)

正史はどうなる?

動画はyoutubeより|STAR WARS公式チャンネル|Star Wars: The Last Jedi "Awake" (:45)

 『最後のジェダイ』を正史からはずせという声があるのは事実なんですが、新たな事を否定するのはその人の心がダークサイドに囚われているのではないかと言っちゃうのは言い過ぎでしょうか。確かにこれだけの長大なシリーズにスピンオフも多く、『俺的スター・ウォーズ』がある人は多いんだろうけど、自分の思うストーリーやキャラの行動指針に合致しないから正史とは認められないというのは、今世界中で起こっている事の縮図に見えます。


 この宗教の聖典がそう書いてあるからそうなのだというのはユダヤ教、キリスト教、イスラム教にのみならず仏教にもあり、それが元でどこかで今も紛争が起こっています。そういう原理主義というのは、時にして自分の好きなものを神格化したり聖典化することによっても起こり得ます。当然、ジェダイはそういうもんじゃない、ルークはそうじゃないという意見はあってもいいと思います。だけど正史にするなというのはいささかに乱暴すぎると思うのですが。ライアン・ジョンソンのしたかった事は、旧き時代から新しい時代への橋渡し。

 そして主要人物たちの成長を描きたかったのは明白で、レイは自分と向き合い、己の中に開花しつつあったフォースに戸惑いルークと会う事により道を探る様が描かれ、フィンは自我が目覚めたものの、ストームトルーパーとしてファーストオーダーの強大さは身に染みているため、この劣勢の中、こっそり出ていこうとするものの、見咎められたレジスタンスのローズとともに、成り行きながらこの苦難を乗り越えるための行動を起こす事により弱い自分を捨て去ろうとします。


 そのフィンが最後、自殺的な特攻をしようとするのを止めるのがローズで命を粗末にしてはいけない、生きている限り、それが勝利というのはダンケルクにも通じるものがありますよね。愛って言っちゃったのはちょっと、こっ恥ずかしいものがありましたが、有りだと思いました。そしてポーは無茶と無謀は違うという事を学びます。ただこの為だけにレジスタンスが無為無策っぽい感じに捉えられてしまうのは残念ポイントでここはもっと上手く出来なかったのかなと思うところではありますがラスト、ポーは確かに成長しました。そしてベン・ソロはカイロ・レンとして野望を露わにしました。それまでの震えた子羊のような青年ではなく荒ぶるダークサイドの堕ちた若き騎士となりました。ある意味「チリンの鈴」ですよね。母を殺された羊が殺した狼と行動を共にし、いつの間にかどちら群れにも戻れない何かべつのものに変貌してしまう。そんなチリンとベンは被って見えました。


 彼らの物語はまだ終わっていません。次の3作目でそれぞれの決着を迎える事になるはずですが、レイはレジスタンスの戦士としてフォースの力をふるう事になるでしょうし、フィンはローズのため、ポーも成長した指揮官としてファーストオーダーと戦う事になるでしょう。小さな火花が大きなファーストオーダーを焼き尽くすのか?という部分になってくるはずだし、それを違えるとは思えません。だから注目はベン・ソロの結末ですよね。彼は野望を達成するのか?それともライトサイドに帰還するのか?またはジョンソンの意図した通り観た事もない悪になるのか?ダース・ベイダーを越えるヴィランになれるかどうかはまだ不明でしょう。それには次の9作目が非常に重要になってくることは間違いありません。


 そしてファーストオーダーも一枚岩ではないことが露呈しました。スノークは確かに退場しましたが…あれは本当のスノークでしょうか。いやまあ本当のスノークかもしれませんけど…ルークが見せたフォースの力で無限の可能性が拡がった訳です。何があってもおかしくないけれどファーストオーダーの主力艦隊やその他の戦力って銀河帝国よりも見えにくいしレジスタンスも結局そこは同様なんですよね。そこも不安点の一つです。それはレイの両親問題にも波及します。レイの両親がジャクーに住む普通の廃品回収業者で既に亡くなっていると言われたけれど、それはベンがそう言っただけです。そしてそれはレイが知っていただけの情報かもしれず…ということです。実際まだ分からないといってるファンは多いそうです。9作目で触れられるかそれともそれは終わったことにするか。J・Jだからやりそうと思ってる人も多く予断を許しません。


 ただ選ばれし者(ザ・ワン)であるレイの両親の出自を普通の人にしたのは長所である神話からの脱却を無にすることですからそれをしてしまうかのかどうかは分からないですが…J・Jですからね、tonbori堂はやるかもと思っています(笑)ただ現在の評論家筋の絶賛が3作目は元に戻ってしまった!大きく後退したとかいう酷評になりそうな気がしますが。もっともまだどうなるかは分からずJ・J・エイブラムスが監督をしますという事だけ、撮影に入っても情報の固いディズニーの事ですから公開まではまったく分からないでしょう…。でもある意味高いハードルが設定されてしまったと思います。どうなるにせよ着地でこけるとSWの新たなる3部作は失敗だねとなりかねない訳ですから。そんなわけで掉尾を飾る3作目。サブタイトルも含めて新世紀の『スター・ウォーズ』としてその世界を大きく拡げることが出来るのか?というのは注目するところです。


 そう言えばレイアのフォースでの宇宙遊泳。「SW反乱者たち」などでは描写がされているそうで結構反乱者たちからのフィードバックはおおそうです。ならばマンダロアの戦士も出て欲しいものでしたが…まあ要素が膨れ上がってしまって余地が無いってところでしょうか。しかもそれまでのスター・ウォーズを覆そうとして挑んだ作品に入れたいからといってあれもこれも入れていたらさらに印象が散漫になりいらないシークエンスが増えてしまった事でしょう。なのでその辺りの要素も含めてJ・Jの差配は注目ですね。

百家争鳴、百花繚乱、賛否両論!

 それでこの賛否両論、肯定派を町山派、否定派を宇多丸派とかいう向きもありますが、(Twitterでそういうツイートをみかけました)お二方ともにライアン・ジョンソンの脱構築は認めた上で、町山さんはその手腕をよくやったと褒め、宇多丸さんは分かったけど、演出はどうよ、グダグダやんっておっしゃっているので作品に対する認識は同じだと思います。 

 そうtonbori堂は捉えていますが、ただネット上では分かりやすいってことで肯定派を町山派、そして否定派は宇多丸派っていうのはちょっと違和感ありますね。些細な事ではありますが。実はこの賛否両論も俺の好きな『スター・ウォーズ』じゃない!なぜそれが分からないっていう人や、これぞ新時代の呼び声、聖典を敢えてぶっ潰すパンク・ロックのような革新的な作品だ、なぜそれが分からないっていう人たちがいます。ある程度評論やコラムを書いてらっしゃる方は、肯定的、否定的にせよ、自分の見立てはこうだけど「信じるか信じないかはあなた次第」っていう形で提供しているわけです。そしてその多くが肯定にせよ否定にせよ、ライアン・ジョンソンのしたことはチャレンジ精神に溢れたものだと認めているんですよね。


 でも肯定派、否定派ともに声の大きい、またはきついものいい声ばかりは届いてちょっと殺伐としているんじゃないかなと。よくネットである漫画の画像を転載して言われるあの言葉「お前がそう思うんなら、そうなんだろう、お前の中ではな」という突き放しから、最近は「俺の思うところになぜ賛同しない、俺の思うところがファクト(真実)だ」が多くてちょっと気になるんですよね。

 今回のライアン・ジョンソンの『最後のジェダイ』は瑕疵もあるけど、評価できる点もしっかりあったのに建設的な議論より相手を折伏するかのような言が悪目立ちしているように思います。または肯定が勝っているよという評論を引いてもそこだけを強調したり、否定派は否定の部分のみを強調する。まあこれは主にTwitterで見られる傾向ではありますが140文字の制限があるとどうしてもそうなってしまいます。


 〇〇警察などはTwitterでも時々見られますが、曰くIMAXで観るべき、ドルビーアトモスで鑑賞すべきetc.どうしても推しを強く強調したいのは分かるんですけどそこでけんか腰になっているように写るのですね。そしてそこがまた強調されちゃう。これがエコーチェンバー現象かと(最近覚えた用語なんですけど)思ってもやっぱりギスギスするのはどうなんだろうと。実は宇多丸さんの『ムービーウォッチメン』を聴いた時に、熱くなって凄くまくしたてた後に「いけない、ダークサイドに入ってしまった」っておっしゃったんですよね。結局みんな『スター・ウォーズ』好きなのは間違いないんですよ。でも一挙に吐き出したりするとどうしてもそこで諍いが起こる。一呼吸いれるのがいいのではないかと。今回の『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』だけの話ではないですけれどね。


 ともかく『スター・ウォーズ』は名実ともに新しい段階に入ったと思います。遥か彼方の銀河系での物語は新たな世紀になったといってもいいでしょう。旧きものにしがみついていては新しいものは出来ません。その志が次作にも受け継がれていくか?『フォースの覚醒』のメガホンをとって新しいシリーズの道筋をつけたJ・J・エイブラムスがどう差配するのかにかかっているのは間違いありません。今『スター・ウォーズ』のユニバースは新しい地平にたったわけです、その事に関しては次はどんな冒険が描かれるのかこのシリーズちょっと引いては観ていますが、その部分はちょっとワクワクするところがあります。そこでもまたいろいろ賛否両論巻き起こると思うけれどなるべくドツキ合い、たたき合いはみたくないですね。ウルトラマンエース、北斗星司の台詞を借りるならば、

「やさしさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。」|ウルトラマンA最終回の台詞より

でしょうか。いや賛否両論を戦わせるのはいいんだけども、感情的になったり相手の事を完膚なきまでに叩こうとするのは議論を戦わせるのとはちょっと違うんじゃないかなって、そういう事なんですけれどね。とは言え2年後にやってくるEP9、果たしてそこに『新たなる希望』は見つかるのか?今はただ静かに待つのみです。


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