黒き死の女神エストとバーシャ/ファイブスター物語/FSS/「トラフィックス~ターミナル 終着駅」|感想/考察【ネタバレ注意!】-Web-tonbori堂アネックス

黒き死の女神エストとバーシャ/ファイブスター物語/FSS/「トラフィックス~ターミナル 終着駅」|感想/考察【ネタバレ注意!】

2025年6月6日金曜日

FSS manga

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 エストはバーシャの時の記憶を保持している。そうかー、そうなのかーっとtonbori堂は思ったんですが、よくよく思えばそういうのは出来るん?とか精神崩壊起こすとガーランドでも直せない(これはアウクソーがGTMと会話出来なくなりファティマとして意味が無くなった事による廃棄問題でも出てきましたよね)今回デコースが本人らしさを全うした上で、なおかつ歴代黒騎士としては5代目グラードに次いでいい感じで逝ったため(これも異論あるかもしれませんけど)、かなり甘めに見てるかも知れないです(;^ω^)もっとも下位パッチとして当てられたシーク・モードならば上位プログラムの上書きなどで自己で壊した可能性も確かにある。これはシンギュラリティ(いわゆる技術的特異点、AIが人の知能を上回る時期などを指す言葉として使われています。)にも関わることでは無いかなとtonbori堂は推察しました。だから18巻のスリーブノートで完全情報共有体としてのファティマの解説やくりす(永野護)の考えるAIについてのコラムが載っていたのかもと思うと腑に落ちるところがあります。という事で今回は改めてエストとバーシャについて考えてみようかと思います。

黒騎士ダッカス/ボークス・アブソメック試作品/DESIGNS永野護デザイン展にて
黒騎士ダッカス/ボークス・アブソメック試作品/DESIGNS永野護デザイン展にて


黒騎士専任AFエスト

 一度エントリで「『黒き死の女神/我が名はエスト』|『ファイブスター物語/F.S.S』考察/備忘録【ネタバレ注意!】」ってのをアップしています。まあその時点では記憶を保持(プログラムも自己破壊)とまでは思っていませんでしたが、完全に保持は出来てなくともバーシャの時はエストの記憶をうっすらと、そしてエストの時もバーシャの時の出来事はうっすらと記憶しているのではないかと若干考えていたように思います。と、言うのもヨーンに語って聞かせたジークとダイ・グの試練についてバーシャの時の事がリセットされるなら覚えていないはずだから。ただファティマとしてGTMコントロールやその蓄積された情報によっての身体操作などは細胞レベルで記憶しているならば(細胞記憶という説で現在まだ未検証の仮説)そういう出来事がレイヤーを通して覚えているのでは?という話です。ただそれだと記憶のコンクリフト(衝突)が起こり精神的に混乱が起こるかもしれません。ならばファティマの自己保存本能がシーク・モードを起動するファンタム・プログラムを精神崩壊を防ぐための根幹制御(これってダムゲートコントロールの事ですよね?)の下位パッチであればその上位意思による自己修復でそのパッチを消去したとしてもあり得ない話ではないと考えます。

永野護デザイン展よりファイブスター物語F.S.S第10巻カバー原画/永野護画
永野護デザイン展よりファイブスター物語F.S.S第10巻カバー原画/永野護画


 名のある銘刀を力が在る者が所望するのは世の常ではありますがそのためエストは過酷な道を歩むことになります。自らを求む者たちによっての争いが絶えず、心労でダッカスの産みの親でありもう一人の父といってもいいクロスビンが世を去り、精神崩壊も危惧された彼女は自らで黒騎士に相応しい騎士を探したいと当時お披露目のために預けられていたバキン・ラカンの聖帝ランダ(ミマスの父でラ=シーラの祖父にあたる人)に申し出たとDESIGNS2にテキストがあります。そこでモラードがエストへ組み込んだのがファンタム・プログラムというプログラムで黒騎士と認める騎士が現れるまでシーク・モードとして別人格として振る舞い、黒騎士ダッカスのヘッドライナーが現れ、自身が認めたときにはじめてエストに戻るというシステム。そして詩女ボルサによって庇護された形でカステポーへ旅立ちツーリー・パイドル卿と出会ったとありますが、その頃は詩女の力によって庇護されてたのなら何故あの時はとなりますよね。それに彼女にはパルサーの加護もあるしなぜそこまで苦難の道を歩むのかという疑問も(これはアトロポスだったかな、彼女に発したような気がします)。これは命の危険の時は庇護パワーが発動するけどそうでない場合は苦難もその身に受けるとしたらこれ精神的な拷問に近いんじゃと思ってしまいます。そういう時に忘れる事がいいのか、忘れない事がいいのか。少なくとも忘れない方がいいし忘れる事など出来ないというのが多分くりすの想いなんでしょうね。とは言えそうなってくると細かい齟齬が幾つか出てきますが大枠でのこの展開は多分80年代には既に作られていたと思います。というのも何かと思い出についての言及ってF.S.Sではよく出てくるんですよ。ラキシスの願いでアマテラスは金色のGTM(当時はMH)を作ったというのも、あの頃の「思い出」に紐づいているし、アトロポスはファティマスーツを着ることで何者か思い出し、ウリクルはサードに忘れないでというし、マコトの思い出の曲をラスたちはライブで追悼のために演奏する。(まあ最後はFFCですけど)そう思うとバーシャっていうシステムは最初から異端ではあったんですよね。とはいえそのファンタム・プログラムがバーシャという黒き死の女神をカステポーに顕現させていたのもまた事実。そう思うとなんと罪作りな事をしたんだとも思います。

ファティマ版レディオス・ソープ

 忘れている人も多いと思うがとくりすがDESIGNS7でのエストの解説テキストに書いてあったファティマ版レディオス・ソープという説明。忘れている星団民が多いか少ないかは正直分からないけど、要所要所に彼女の足跡は残っていますし、歴史の転換点には必ず関り物語の最後にも(第1巻冒頭)登場しているエストはファティマ版レディオス・ソープとして設定されていたとしても、アマテラスとして星団をほっつき歩いていると歴史に関われないために神様の写し身というかエイリアスの一つ(といっても本人が変身しているのでほぼ本人なんですけど)としてのソープとは意味合いが違うと思います。


 これはtonbori堂の妄想なんですけど、FSS初期の構想では主人公は神様だけど王様でもあるので王様があちこちウロウロするのはおかしいから、暴れん坊将軍みたく徳田新之助(新之助は若い頃の吉宗の通名)と名乗るようにソープと名乗りガーランド(マイト)は作る人なので目立つから整備をする人スライダー(マイスター)としてあちこちに顔を出す設定を作ったと思うんですよね。一方エストは黒騎士専任。黒騎士は代替わりしても長い歴史の中でファティマは変わらず物語に関わる事が出来るはず。ロードス・ドラクーンや長く物語に関わるこになったデコースももちろんなんですが、その先へも関わっていけるキャラクターとして、ただアマテラス側ではなく(アマテラス側に身を置くことがあっても)フリーの立場で物語に関わっていく事か定められたと思うのです。そこには単に歴史の目撃者としてだったり、君主自らが関わるための方便としてのソープとは全く違って、限りある生を今、その瞬間を生きる騎士たちに寄り添いそれを看取っていく、言わば『銀河鉄道999』のメーテルや神話のワルキューレの騎行の女神のように戦士に寄り添っていく存在として設定されたのではないかと思います。ただ逝く人を見送るだけのエストがそれをどう感じているのか?という事については、一つはその想いを消してという方便がファンタム・プログラムとしてあったのかも知れません。しかしそしてそこからもう一つ進んで「忘れてしまう」事が幸せなのか?だからこそ「忘れない」ために自らそのプログラムを消し去ったという選択をしたのではないかという風にも思えるのです。まあこれはtonbori堂が勝手に思っているだけの話なんですが。だからグラードが倒されたときに眠りに入るエストが自らの物語を閉じる時、この物語の最後となるというのは筋が通る気がします。そのあたりは前回も書いたマリー・ローランサンの詩も大きいのですが(;^ω^)


 人から産み出されたものが、自由意思でそれをなし得るのかというのはSFでは定番ネタです。HAL9000の反乱によるデータの自らの破壊によってのあの行動や、映画『地球爆破作戦』、ひいては手塚治虫の『火の鳥』未来編でのマスターコンピューターに管理されている人類。『1984』のビッグブラザーなど枚挙にいとまがないですが、進化した人造人間が人を超えるというのがバランシェ・ファティマだけではなく他のファティマでも起こり得るのであれば、エストがその限界点、シンギュラリティを突破して自らの望むようにプログラムを自己破壊したというのはあってもおかしくないかなというのがtonbori堂の結論です。ここでのシンギュラリティというのは『ファイブスター物語』初期から言われていたラキシスの台詞やファティマについての根幹部分で通じているのかなと考えたのですがどうでしょうか。もっともF.S.SはSFではなく「おとぎ話」なんですけれどね(これは作者が繰り返し言ってること。)

 あとそれほどまでにエストが過酷な道を選ぶのは自身がある意味究極の兵器である黒騎士ダッカス専任として生成されたからというのも大きいかなと思っています。若きモラードがバルチック・アカデミーで知己を得たGTMガーランド、ルミラン・クロスビンと共同で開発されたファティマでありクロスビンの製作したホルダのフレームを切り詰めたライオン・デトニクス・フレームを持つGTMダッカスはエストとのコンビネーションで最大限の力を発揮するように作られたもののその後同じシステムは採用されませんでした。後続の開発が上手く行かなかったことと、専任システムはどちらかが欠損すると能力が発揮できないため兵器としては運用しにくいという事で廃棄されてしまったとDESIGNSには書いてあります。そのためダッカスとエストは黒騎士という唯一無二のシステムとして星団に名を響かせる事になったのは何とも皮肉ですけれど。それでも黒騎士としての効率を本能で求めてしまうエストはいわばダッカスという呪いがかかった状態。だからこそパートナーもその呪いを共に分かち合うことになってしまう。だからバーシャという別人格がコンクリフトを起こすので消去したけれど対外的にはその地獄を共に歩む人でなければとバーシャとして振る舞い、共に地獄に歩んでくれる人だけに黒騎士として認めるといった方が良いのかもしれません。(もっともロードス公とはそういうところを感じさせないともいう人が多そうだけど、それは単純にロードス公が人としては「まとも」だったからで(エロじじいだけど)騎士というのは基本的に冥府魔道を往く者たちということではロードス公もその一人だと思った方がいいと思うんですよね。

 とは言えバーシャという「人格」とヨーンの交流がそれで反故にされてしまったと思う方がいても仕方がないし、拡がり過ぎた裾野の齟齬があるのは否めないのですが、それでもファティマが人に仕組まれた命だとしても自我を持ち自らの意思で未来を掴み取るために払った犠牲の上にFネームがいるとしたら、バランシェ・ファティマではない(なのでFネームにはエストを引き継ぐものはいないはず)エストが数々の戦いにおいてバランシェ・ファティマと最後に対峙したことによりその名と彼女の事はやはり引き継がれていくのかなと妄想しています。


黒騎士の行方

 ともかく黒騎士デコースの物語が幕を閉じヨーン最後の戦いから彼は今後どういう騎士の生き方となるのかそこが一番気になるところです。DESIGNS7ではデコースとの戦いは最後の戦いと煽っているし、ミラージュの叩き上げ騎士という惹句はどうなるのよ?とか、ミラージュを退団するのはいろいろ難しいものがあるってのは度々触れられています。もっとも引退したダグエランのように別に命と引き換えとかではなく、AKDのひも付きなら引退も可能なんでしょうけど(予告されているアイシャのように剥奪追放パターンもある)叩き上げ騎士でも適正が失われたり、ダイ・グのように病に倒れたり。いやそもそも、一度の手合いでも命を落とすことだってある訳でヨーンのミラージュ在籍ってもしかすると超短いのか?とか。正直ヨーンがこれで騎士廃業でもそれが天命よという感じにはなってますが(ヲイヲイ)それでもミラージュの中核として活躍するんじゃなかったのかとか(でもよくよく考えるとそんな予告はされてない)、レッドミラージュで演習に出てたんじゃないのか(とはいえアレ誰かは明言されてなくてまだ先々全然決まってなかったのかもしれないですよね、いや独り言)ミラージュとしての大仕事はモルフォでの決闘で終わりそうですよね(;^ω^)ただエストが黒騎士としてヨーンを認めていること。そうなると黒騎士を取らないヨーンの元エストをどうするのかっていうのはエストがAKDにいく事は決まっているので暫くはAKDで保護しその後四代目が出るところでリリース(酷い)となる?のかな。ここらは年表確認していないけれど大侵攻辺りはAKD預かりからの後半はレーダー9の元に?になりそうだけどそこら辺もヨーンに下される勅命によるんですがさてどうなるのか。先々月の雑予想(表に出ない黒騎士預かり的なやつ)もあるしファティマはエストって書かれているのでそこの決着を今は待ちたいと思います。

※ブクログ/Amazon/黒騎士関係の最新情報はこの辺りの記載より。

F.S.S.DESIGNS ASH DECORATION (7)
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そしてやっぱり18巻

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